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〈柳生博さん 死去〉“息子の死”と“妻の認知症”の先に…「涙で暮らしているわけではなくて、こんなに楽しい」

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息子の死、そして認知症になった妻・二階堂有希子さん

 前任は小杉(隆・元衆議院議員)さんだったから、「たかが役者が会長かよ」という声もあった。だから今までの会長がやらなかったことをやろうと思いました。それが北海道から沖縄まで約90の支部全てを訪れ、「会長に教える勉強会」を開いてもらうこと。

 鳥のように全国を飛び回り、会員やその家族、知人と会話しました。その地域の山と海と川について、昼間は勉強会、夜はお酒も飲みながら。実に贅沢な役職でした(笑)。でも一切報酬はナシですよ。

「80になったら絶対にやめるからな」、そう強く言ってきて、ようやく今年、「名誉会長」になれました。

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 自然と鳥を愛する活動を続ける中で、つらいこともありました。4年前の5月には長男の真吾を咽頭ガンで亡くしました。彼は園芸家として活躍する傍ら、八ヶ岳倶楽部の経営にも奔走してくれて。まだ47歳、早すぎる死でした。

 僕が会長になるとき、彼は「パパ絶対やめてくれ」と反対してね。当時、企業やスポーツ界の「会長」が毎日のようにテレビで謝罪をしていたので「あれを見てよ。家族としては絶対反対だ」って。先日、会長交代のときに「幸せだったのは、謝らなきゃいけない場面がなかったことです」と、挨拶をしました。

 ママ(妻)の加津子は78歳ですが、重い認知症になって、特別養護老人ホームにいます。かつては二階堂有希子の名前で女優として活躍し、私を支えてくれました。今はつらいことは感じず、ただ機嫌よく暮らしています。

 僕が80になったら辞めると決めていたのは、「頭が元気なうちに、ぼける前に」ということ。会長は飾り物ではないのだから、ぼけることが一番怖かった。

 息子が死んでママが施設でお世話になるというのは、確かに大きな出来事でしたが、いずれ僕もそうなる。それはすごく感じています。