龍の背に乗るカッコイイ観音像。なんだかヘンな感じだと思う人も多いのでは? この独特の違和感はどこから来るのでしょう。私たちが見慣れている仏さまの絵というと、線描で図式的に描かれた仏画。しかし本作は西洋画の技法で迫真的に表され、さらに具体的な空間に置かれているため、まるで映画かゲームのワンシーンのようなリアルさが感じられます。仏画は象徴的な表現だからこそ、見る人それぞれが心の中で補って見るため、非現実的な要素も気になりません。つまり本作は、二次元で表されたマンガのキャラクターが実写化されたときの違和感に近いものを醸しているわけです。しかも本作のサイズは、高さ272センチ・幅181センチと巨大。それは明治23年の発表当時、「サーカスの綱渡りのようだ」というような批判をされるほど、人々をザワつかせるものでした。

龍は、犬の顔、軍鶏の足、蛇を写生して組み合わせたという。色の細やかなうつろいには、当時流行の印象派の影響もうかがえる。
原田直次郎「騎龍観音」 1890(明治23)年 油彩・カンヴァス 護国寺蔵

 これを描いたのは原田直次郎。裕福な家に生まれ、ドイツに私費留学の経験もある画家。留学時代から親交があった森鴎外の『うたかたの記』の主人公のモデルでもあります。

 観音の白い衣装が暗めの背景から浮き上がり、主役が一目で分かるオーソドックスな構図。龍が画面右上から左下への対角線に沿ってうねり、風になびく雲を描写する筆致がこれと同じ向きに揃えてあり、さらに観音が前のめり気味に傾いで直立しているため、前進する躍動感が全体から感じられます。また、左上の隅の、雲間の明るい空と、右下の龍の爪とを結ぶ「線」がもう一方の対角線とクロスする形となり、バランスを取っています。

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 当然ながら、原田はこの場面を目の前にして写生したのではなく、想像を含めた様々な情報を再構成して描いています。このように宗教・神話・歴史・詩文から得た着想を頭の中で組み立てて描いたものを構想画(歴史画・物語画とも)と呼び、画家の創意と構成力を必要とするため、西洋では伝統的に高尚なものとされてきました。しかし、原田が渡独した1884年は印象派のように前衛的な画家たちが台頭してきた西洋絵画の転換期。原田が学んだ伝統的な手法、それによる物語性の強い画題も、次第に時代遅れとされ始めたときでした。

 その上、原田が帰国した1887年頃、日本では西洋画そのものへの関心が下火になっていたのです。西洋画のリアルな表現をなんとかものにしようとしていた幕末・明治初期の過剰な欧化志向への反動です。つまり、洋画家にとって何を描くべきか悩ましい時だったのです。主題選びには、この絵が奉納された護国寺所蔵の騎龍楊柳観音図や、世紀末のヨーロッパで龍を含めた幻想的なモチーフが流行していたことも影響したでしょう。西洋伝統の構想画を、日本伝統の画題・観音像で描いた本作。醸しだすヘンな感じは、東西文化の相違と価値の転換期が絡まって生まれたものだったのです。

INFORMATION

「MOMATコレクション」
東京国立近代美術館にて5月8日まで
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/permanent20220318/

●展覧会の開催予定等は変更になる場合があります。お出掛け前にHPなどでご確認ください。