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「今までと違うことを言って不思議に思うでしょう。でも、今度新しくできる特別支援学級は、軽い遅れがある子どもを集めて、その子、その子に合った指導をしてもらえるんですよ」

 新設校はマンションから見下ろせる公園の隣で建設が進んでいた。川の対岸にある今の学校よりも近い。三女の千春は新設校に通うことにしたが、聖子の環境を変えるという提案は気が重かった。

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聖子は「転校はしない」と泣きながら訴えたが……

「佐藤先生と離れたくない」

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 案の定、何度尋ねても、大好きな担任の佐藤先生と同じ学校に通うと言って抵抗した。涙を浮かべる娘に説得を続けるのは気が引けた。10月末の進路決定の締め切りを越えても、市の教育委員会は「年度末まで待ちましょう」と言ってきたが、聖子の気持ちが変わるとも思えなかった。

「最終的には聖子の判断を尊重しよう」

 正月休みに転校しないことを夫と決め、休み明けの療育相談で「最終回答」を伝えに行った。

 すると、普段は穏やかな石坂先生がペンを机に打ち付け始めた。

「お母さんがそんな態度だからいけないんですよ。6年生ぐらいの子どもの場合、普通の子でも自分の進路を自分で決めることは不可能ですよ。私立中学に行くにせよ、最終的には親が決めるものでしょ?」

「でも、聖子が千春と同じ学校の特別支援学級に通うと、『姉が特学通い』と変な差別を受けて、辛い思いをしないでしょうか」

「そんなことは大丈夫。全然、気にすることはないですから」

 石坂先生の気迫に押され、私は黙り込んでしまった。

 帰り道、「転校はしない」と泣きながら訴えた聖子や、繊細な性格の千春の姿が浮かんだ。車のハンドルをつかみながら、フロントガラスの先がにじんだ。

「同じように新設校への転校を考えている女の子たちと会ってみたらどうでしょう? お友だちになれそうな子がいれば、聖子ちゃんの気持ちも変わるかもしれない」

 石坂先生に誘われて、新設校への転校を考えている子どもたちとの交流会に参加した。子どもたちが体育館の一角で指導員とゲームで遊ぶなか、保護者は別室に集められた。

「これまでの特別支援学級と違い、モデル校的なクラスになります」

 市教委の担当者からの説得は毎週のように続いたが、聖子は転校を嫌がっているとそのたびに伝えた。

 すると、石坂先生から驚くような新提案があった。

「教育委員会と校長先生に事情を伝え、佐藤先生を新設校に転任させるよう頼んでみたらいかがですか」

「えっ? 私が、ですか?」

「だめもとで言ってみたらいいんですよ」

 そんな、一保護者の申し出で便宜をはかってもらえるはずがないのに……。

 気は進まなかったが、校長と市教委の担当者をそれぞれ訪ね、事情を話してみた。

 教員異動の発表を控えた3月下旬。突然、校長から電話が入った。

「佐藤先生が新設される小学校の方へ転任することが決まりました」

「ほんとですか?」

「はい。いろいろと手続きも必要になりますので、一度学校の方にお越しいただけますか」

 急いで学校に向かい、お礼を言うと、校長はつぶやいた。

「佐藤先生、『本当は転任したくない』と言っていましたよ」

 皮肉が交じっていた。

 石坂先生に勧められた話とはいえ、申し入れたのは自分だった。その影響の大きさに申し訳ない気持ちになりながら、教室で荷物をまとめていた佐藤先生にも感謝の念を伝え、急いで転校準備を進めた。