ほかの民放大手にも全国紙の資本が入っており、新聞社から経営者を迎える慣行はある。しかし、テレ東以外の局ではプロパーの社長も出ており、出資比率3割強の日経によるテレ東への強権支配は異様といっていい。
こうした要求を突き付けられ、テレ東はもちろん日経もパニック状態となった。翌日には、東洋経済オンラインのスクープにより株主提案の内容は市場の知るところとなった。
日経に牙をむいた元記者たち
パンドラの箱を開けたのはリムの日本投資担当者である松浦肇氏。実は日経新聞出身だ。1995年に入社し、主に証券部で数々のスクープを放ったが、ニューヨーク特派員を最後に退職。現地で産経新聞の編集委員を務めた後、金融界に転じた。
実父の松浦晃一郎氏は駐仏大使やユネスコ事務局長を務めた大物外交官。「日英仏のトリリンガルで、米コロンビア大学で複数の修士号を取得するなど経歴的にはピカピカ。だが、本人は坊主頭で筋骨隆々、むしろ野武士を思わせる人物だ。これまでの投資先を見る限り、本気で『世直し』のためにアクティビストをやっているふしがある」(元同僚)。
その野武士が、テレ東の新たな社外取締役候補として連れてきたのはこれまた日経OB。自らが師と仰ぐ阿部重夫氏だ。在職中に日本新聞協会賞を2回受賞した古豪である。
阿部氏は退社後に複数の媒体で編集長を務めた。月刊誌『選択』編集長時代には、2003年に当時の鶴田卓彦社長が退陣に追い込まれた際に日経の内情を徹底的に暴いた。
この事件は、当時日経新聞ベンチャー市場部長だった大塚将司氏が、社員株主として鶴田卓彦社長解任動議を提出した騒動に端を発する。子会社ティー・シー・ワークスでの融通手形操作によって巨額の損失が発生したことと、不適切に会社経費を使用した疑惑によるものだ。鶴田氏はスキャンダルにまみれて退場したが、大塚氏も1度は懲戒解雇された後味の悪い展開だった。『選択』2003年3月号は、日経の企業風土を端的に描いた。
〈組合は御用組合、融資銀行は日経に気兼ねしてモノ申せない。株主投票は記名式で、秘書室は開封して×をつけた株主をチェックする。逆らった社員には人事の報復が待つ。まさにコーポレートガバナンスの北朝鮮である。だから企業から『企業統治のお説教だけは日経から聞きたくない』と言われるのだ〉