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鶴田元側近の「OK戦争」

 鶴田事件当時の経営風土が今も変わらぬことを象徴するのが、日経とテレ東それぞれの最高実力者だ。

 日経のトップである岡田直敏会長、テレ東の小孫茂会長は、鶴田事件の前後に秘書室長を務めていた。ともに鶴田氏の毎夜のクラブ通いに付き添い、ゆがんだ統治構造にどっぷりつかり、それに順応してきた。

日本経済新聞の岡田直敏会長 ©共同通信社

 2人はともに1976年に日経に入社した。20人ほどしか採用されなかったという少ない同期のなかで、早くからお互いを意識していた。小孫氏は日経の多数派だった早稲田大学出身で、岡田氏はこのころは珍しかった東大法学部卒。記者としての力量に自負が強い小孫氏は、事務処理能力がとりえで入社当初から経営者になりたがっていた岡田氏のことを軽んじていたという。

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 性格は対照的だ。寡黙な岡田氏に比して小孫氏は気性が激しく、ゴルフ場でもキャディーを怒鳴りつける悪癖で知られる。大企業トップには珍しいキャラクターの持ち主というほかない。「最近は怒鳴るのは我慢し静かな口調でおどすので、よけいに怖い」(テレ東関係者)。

 一方の岡田氏は「そもそも人づきあいが苦手で、記者時代も取材対象への食い込みを競うスクープ合戦とは無縁。さしたる功績もなかったが、企画づくりの手際はよかった。日経新聞の仕事はニュースの解説だと思っているようだ」(日経のベテラン記者A氏)。これでは水と油だろう。

 日経の本流である経済部のエリートコースを歩んだ2人は社長レースでもデッドヒートを繰り広げた。社内で「OK戦争」と言われる全社を巻き込んだ争いの結果は岡田氏に軍配が上がり、小孫氏は涙をのんでテレ東に転出した。それまでテレ東社長の座は、歴代の日経トップが論功行賞のために側近を「天下り」させるポストだった。そこに岡田氏に敗れた小孫氏が派遣されたことは、日経の人事抗争に上場会社であるテレ東を巻き込む結果となった。岡田氏が意に添わぬ人材をテレ東に放逐する一方で、小孫氏は同社の独立王国化を図ってきた。

 たとえば2020年度にはテレ東本社ビルの貸し主である住友不動産の株を政策保有株(いわゆる持ち合い株)として大幅に買い増した。これは、政策保有株の存在は企業経営を歪めると紙面で繰り返し論じてきた日経の方針と相容れないはずだが、テレ東が押し切ったかたちだ。