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「小汚い雑誌だった」…サンデー編集者から格下扱いされていた「ジャンプ」が“最強のマンガ誌”になれた理由

『「週刊少年マガジン」はどのようにマンガの歴史を築き上げてきたのか? 1959-2009』 #2

2022/08/13

 その後、万吉は一命を取り留め、全国の不良学生の頂点に立つことに。「わいのガクラン(学生服)もってこい!」という台詞で大団円を迎え、全7巻の集英社文庫版はここで完結している。

 本宮の自伝『天然まんが家』(集英社文庫)によると、その最終回から数週間後に長野編集長がやって来て「続編を描いてくれ」と頭を下げた。「もう無理です」と固辞する本宮に対して、長野は涙まで流しながら熱く訴えたという。

「本当のガキ大将の戦いは、これからじゃないか。がんばろう、ふたりでがんばろう。『少年マガジン』のシッポをつかんでいるんだ!」

 ときに1971(昭和46)年、「ジャンプ」の部数は急伸していたが、まだ「マガジン」には追いついていなかった。

 やむをえず「考えてみます――」と答えた本宮は、長野が置いていった最新号の「ジャンプ」を見て「あっ、あのジジイーッ!」と絶叫する。見開きを使って、でかでかとこう書かれていたのだ。

「次週いよいよ、『男一匹ガキ大将』第二部堂々再開!!」

『DRAGON BALL』の衝撃

 1978(昭和53)年、その本宮ひろ志を発掘した西村繁男が第3代編集長に就任すると、いよいよ「ジャンプ」の勢いは増していく。

 1979年に『キン肉マン』(ゆでたまご)、1980年に『Drスランプ』(鳥山明)や『3年奇面組』(新沢基栄)、1981年に『キャプテン翼』(高橋陽一)、『キャッツ・アイ』(北条司)、『ストップ!!ひばりくん!』(江口寿史)といったヒット作が次々と始まり、発行部数は雑誌史上初となる300万部を突破する。

 80年代前半には“ラブコメのサンデー”が部数を伸ばしたが、それにしても「ジャンプ」とは100万部の差があった。1985(昭和60)年に『ふたり鷹』(新谷かおる)、1986年に『タッチ』、1987年に『うる星やつら』、と人気作品の連載終了が重なると「サンデー」の部数は減り始め、再び「マガジン」に逆転を許してしまう。

 しかし発行部数200万部の手前で「マガジン」と「サンデー」が2位争いをしていたとき、そのはるか上空には「ジャンプ」がいたのだ。

 前に触れたように、「サンデー」がラブコメで伸びているとき、「ジャンプ」のスタッフはかなり危機感を持っていたらしい。挙がってくる企画もラブコメばかりになったが、西村自身はラブコメに否定的だった。