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最も建設的な幸せの定義とは?

 人類の歴史の大半では、現代のような幸せのイメージはあまりに馬鹿馬鹿しく、妄想することすらなかっただろう。今の私たちの幸せへの執着、そして幸せとは常に幸福を感じていることだという誤解。それはあくまでここ数世代だけの話だが、私たちのほとんどがそれ以外に体験したことがないのだから、どれだけ奇妙で非現実的なのかに気づきもしないのだ。

 私にとって幸せは、終わりのない享楽を追い求めることでも、不快と名のつくものを最小限まで減らすことでもない。かといって、快適さや物質的な要素には意味がないと言うと嘘になる。そう思うくらいには快適だし物質的にも恵まれている。そう、私にとっても皆にとっても、それらに意味がないわけではないのは確かだ。

 なお、私が聞いたことのある中で最も建設的な幸せの定義は、「ポジティブな体験」と「自分自身に対する深い洞察」の組み合わせだ。自分は何が得意で、それをどんなふうに自分そして他人のために使えるのかを理解すること。そうすることで自分の外側に広がっているものの一部になれるからだ。

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 多くの人が「なるほどこれが幸せか」と感じるのは、ゴールに到達した時ではなく、自分の外側に広がっている何かに一歩一歩近づいている時だ。そこに──他に適当な言葉が見つからないので使うが──「幸せ」を見つけるのだ。

 つまり幸せとは独立したゴールではなく、あくまで状況の一部なのだ。幸せが生まれるのは人生で何が重要なのかを理解し、それに沿って行動した時だ。自分や他人のために意義を感じられるものの一部になった時に。私たちの大半がそうだというのは、驚くことでもない。私たちの生存は協力し合うことに懸かっていたのだから。

 自然から与えられた試練を生き延びた人たち──だからこそ私たちの祖先になれた人たちは「一緒に」生き延びてきた。地球上で最も優勢な動物になったのは一番強かったからでも、足が速かったからでも、賢かったからでもない。協力するのが一番得意だったからだ。だからこそ孤独に苦しむことにもなった。

 オーストリアの精神科医で心理学者でもあったヴィクトール・E・フランクルは、アウシュビッツを含む4つの強制収容所に収容されていた過去がある。いかに気力を振り絞って生き延びたのかという質問を受けた時、彼は哲学者ニーチェの言葉を引用した。「生きる意義を1つでももつ者は、いかに生きるかという問いのほとんどに耐えられる」。何がその「生きる意義」に値するかは人の数だけ答えがあるだろう。

 しかし1つ確かなことがある。常に楽しい体験をするというのは、その答えには入っていないということだ。だから幸せを追い求めてはいけない。幸せとは幸せについて考えることをやめ、意義を感じられることに没頭した時に生まれる副産物なのだ。

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