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自分がどのくらい幸せかは、周りの人の状態次第?

 何が起きるかという脳の予測、それと実際に起きたことを延々と照らし合わせるのが私たちの人生なのだ。

 2021年の春、ある調査で高齢のイギリス人に身体の健康に関する質問をしたところ、「健康状態は良好だ」と答えた人の割合が前年よりも上がっていた。しかし、2020年のパンデミックイヤーに高齢のイギリス人の健康状態が改善した要因はあまりないはずだ。国内で10万人もの人が新型コロナで亡くなったこの年、むしろ健康状態は悪化したと疑うべきまっとうな理由がある。医療が逼迫(ひっぱく)し、緊急の場合を除けば普段どおりには機能していなかったのだから。

 それなのに、なぜ健康状態が良くなったと感じたのだろうか。考えられるとしたら、毎日のように病気や苦難のニュースを聞かされるうちに、「良い健康状態」の基準が変わったことだ。集中治療室や遺体安置所が溢れ返っているというニュースが日々報道される中、腰痛や頭痛や膝の痛みといった症状を大した問題だとは思わなくなった。脳の予測、つまり脳が自分の経験と照らし合わせる対象が変化し、それによって自分の健康に対する見方も変わったのだ。

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 つまり私たちは起きていることを客観的に分析しているわけではなく、自分の期待と経験を比較するよう、神経生物学的に厳密にプログラミングされているのだ。当然のことのように聞こえるかもしれないが、多くの人がそのことを忘れている。大学で経済を学んでいた頃、教授たちがいつも講義で言っていたのは「人間は合理的な生き物で、常に少ないよりも多いほうを好む」ということだった。

 私はその後、医者そして精神科医になり、それが間違っていることに気づいた。私たちは少ないより多いほうを好むわけではない。私たちは「隣の人より多い」のを好むのだ。つまり自分がどのくらい幸せかは、周りの人の状態による。あなたもきっと自分のアウディを自慢に思っていたはずだ──お隣さんが玄関前にテスラの新車を停めるまでは。

幸せの感情は消えていくもの

 あらゆる体験を自分の期待と照らし合わせるように進化したからこそ、幸せを追い求めるのはやめたほうがいいと思うのだ。幸せの感情は消えていくものだ。そうでなければ感情の最も重要な任務、つまり私たちに何かをしたくさせるという役割を果たせない。脳は身体の内外の情報に基づいて、常に私たちの感情の状態を変えていく。

 それがポジティブな感情のままとどまり、常に最高の気分でいられるなんて、脳の見地からするとキッチンの調理台の1本のバナナで一生満腹でいられるくらい非現実的なことなのだ。何しろ私たちはそのようにはできていない。なのにそれを忘れてしまいがちだ。

 2015年にコカ・コーラが大々的な広告キャンペーンを行い、「コカ・コーラをシェアしよう」という誘い文句が「ハッピーをあけよう」に刷新された。何十億という人々に向けられたそのキャッチコピーには、「幸せは自分で選ぶもの」というメッセージが込められている。それだけではなく、「私たちは幸せでいられる。そうでなくてはいけない」という暗示も含まれている。

 このように、現実にはありえない状態を商品に関連づけたのはコカ・コーラが初めてではない。「一生ずっと幸せに生きよう」(住宅保険)、「ここから幸せが始まる」(マスタード)、「分け合う幸せ」(食品)、「自分を幸せにしてあげよう」(レストラン)、「幸せの瞬間」(乳製品)と、広告のキャッチコピーはいくらでもあり、どれも次のような含蓄がある。幸せとは楽しい経験が真珠の首飾りのように連なったもので、自分で選ぶものである。あなたが幸せだと感じられないなら何かがおかしいはず。