父・梅宮辰夫氏が愛した真鶴の家に暮らすも、手放すことを決意した梅宮アンナ氏(50)。
病身の父の面倒を見たことで気づいた高齢者と家の関係、半導体不足による給湯器不足、売買をめぐるトラブルなどについて、話を聞いた。(全3回の2回目/1回目を読む)
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「東京に戻ろう」いろいろな現実とぶつかった7ヶ月
ーー真鶴へ転居する以前から、一戸建てには否定的なところがありましたか?
梅宮アンナ(以下、アンナ) 親が家の修繕とかでバタバタしているのを、小さい頃から見ていたから嫌だったんです。「一軒家というのは、必ずどこか壊れてその都度直して、維持していくためにお金がすごい掛かるんだ」って。
大人になって自分で自分のことを養えるようになってからは、事務所の人にいつも言われてたの。「アンナ、家を買ったら?」って。だけど「いや、買いたくないんです。親を見てきたから……」と答えていたんですけど。
維持の面以外に、購入してからご近所トラブルに悩まされるリスクもあるじゃないですか。大きな買い物だけに、恐ろしくて買えないわけ。だから、ずっと避けてきたんですけど。
ーー固定資産税もありますしね。
アンナ 真鶴は土地評価が低かったけど、そうはいっても年間40万円ぐらい発生してたんです。東京でも、港区や渋谷区なんていったら100万を超えるのは当然。「それをうちのパパは払ってたんだ。すごいな」と思ったりして。そういうことで、死んだ後もパパってすごかったんだなと思うことがいっぱいあったんですけど。
だから、意気揚々と真鶴に行ったものの「あれ、待てよ。いろんなことが大変だな」と思って。でも、「じゃあ手放そう」となったところで「はい、明日から誰々さんが住みます」というわけにはいかないじゃないですか。モノも大きいし。
「やっぱり東京に帰ろう」と決意してから、私の思いといろいろな現実がぶつかった7ヶ月間が始まったと。それで、すべてを終えたわけなんですけど。
ーー真鶴の家は、暮らしながらリノベーションされていた?
アンナ 移る前からリノベーションしていました。コロナが始まった、2020年の春から。4階の部屋を私が使おうと決めて、まずはそこからリノベーションを始めて。
ーーお母様のことを考えてのリノベーションという面もあったのですか。
アンナ 玄関から入ってすぐが3階で、リビングなんですよ。もしママの具合が悪くなったらすぐ気づけるように、リビングにいてもらえるようにとは考えていました。
でも、リノベーションを進めていくうちに「いつか手放す日が来るだろうな」とは思ってました。まず、階段が高齢者には絶対に向かないし。実際にパパが真鶴に暮らしてたときも、ずっとリビングにいて、その下の階にはぜんぜん降りてきてくれなかったの。