父・梅宮辰夫氏が愛した真鶴の家に暮らすも、手放すことを決意した梅宮アンナ氏(50)。
真鶴で生活をするなかで感じた東京との地域格差、売却決意のきっかけとなったボイラー事件、つねに感じていたという亡き父親からの無言の圧力などについて、話を聞いた。(全3回の1回目/2回目を読む)
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東京の住まいを引きはらい…移住して感じた「地域格差」
ーーあれからまた環境に変化があったそうですが。
梅宮アンナ(以下、アンナ) 前回の取材って、いつ頃でしたっけ?
ーー2021年の10月末ですね。
アンナ 私たちが完全に渋谷の家を引き払って真鶴の家に移ったのが、2021年の10月の頭で。あの時はまだ全然気づいてなかったというか、意気揚々と東京を去って「ここでずっとやっていくんだ」と思っていました。ところが、いろいろな意味で「アレ?」みたいなことが出てくるんですよね。
やっぱり、どうしても東京にすべてが集まっているんですよね。やってきたこと、やらなきゃいけないことも含めて。結局、東京に通わなきゃいけなくなるんですよ。
ーー東京に出る頻度というのは?
アンナ ほぼ毎日でした。気づいたらホテルを取っていたりして「私、なにやってるんだろう」と思い始めたんですよね。それがちょうど12月頭ぐらいから。体も、精神的にも疲れてしまって。
たとえば、車で東京に行く場合、首都高の渋滞が始まる朝6時前には用賀を抜け出さないといけないから、逆算して朝4時45分に家を出るんです。そうやって早めに東京に着くけど、渋谷で11時からの仕事というスケジュールだったら、それまで車で寝てるしかなくて。
ーー実際、車のなかで寝ることも。
アンナ ありました。電車移動の場合、新幹線に乗って品川で降りるとすっごい混んでるんですよ。その混んでる中を、今度は山手線に乗って。そうすると、いろんなことを考えちゃうんですよ。「会社勤めだったらこれが普通だろうけど、衣装やメイク道具を抱えて電車を乗り継いでスタジオに入るのって現実的なのかな」とか。
じゃあ、何を変えたら楽になるかなと12月中はずっと考えて、タクシーに乗ってみたりしたけど、当然タクシー代がかさんだりで。
それで「なにやってるんだろう。どうしたらいいんだろう」と思うようになりました。自分のライフスタイルだと、真鶴で暮らすことってちょっと難しいのかなって思い始めてきて。
ーー東京に部屋を借りて、二拠点生活にする考えなどは。
アンナ ありましたけど、「それじゃあ東京の家を引き払った意味ないよね」ってところに結びつくし。あと、真鶴の家をあっちもこっちも直している状況だったから、お金がどんどん出ていくんです。
真鶴が嫌とかじゃなくて、地域格差というんですか、東京での“当たり前”がない。病院も熱海か小田原まで行くしかないから、ママも不安になってくる。地元の人に会うたびに「病院、どこかいいとこない?」って、うちのママが聞きまくるわけ。