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ルックスで態度を変える教官

 通常の学校教育の場において、「生徒を差別する教員」は忌み嫌われる対象である。一方、教習所の技能教習は、基本的にマンツーマン形式で実施されるため「扱いの差」が露見する機会は少ない。しかしそれでも、数少ない複数人での教習などにおいて、差別が浮き彫りになるケースもあるようだ。

 教習カリキュラムを終えたばかりのEさん(20代女性)は、教官の差別について次のように語る。

「家から近い教習所が、ネット上の口コミで『女性にだけ甘い教官がいる』と言われていました。プライベートを詮索されたり、連絡先を聞かれたりっていう報告もありましたね。でも、料金も比較的安かったし、『最悪、怖い教官よりはいいか』と思い、そこに決めました。

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 3回目くらいの教習で、口コミで名前を挙げられていた教官に当たったのですが、私に対してはまるで興味のない態度だったんです。指導も適当で、退屈そうに座って道順を指示するくらいで……。不安になり『曲がるスピードはこれくらいでいいですか?』と聞いても、『あぁ、いいんじゃない』と素っ気なく答えるだけ。

 その後も同じ調子でしたが、高速教習でキレイめの女子大生っぽい子が一緒だったときはグイグイでした。『思い切り踏んで! そうそう!』とか『いいよいいよ、視線は気持ち遠目にね』とか、親切な教官になりきっていて。私に対しても普段よりテンション高めに接してきて、とても冷めた気分になりました」

 教える側の公私混同は、教わる側の感情を損ねるだけではなく、学習機会の不平等にもつながってしまう。それにしても、人目もはばからず「下心丸出し」とあっては、マンツーマンの状況でどれほど露骨な態度を取っているのか、恐ろしいばかりである。

試験中にまさかのアドバイス

 教習生にとって、教官の「判断基準」はある種のブラックボックスに包まれている。もちろん人間である以上、チェックするポイントに多少のブレが生じることは避けられないが、恣意的に基準を変えてしまうのは大きな問題だろう。

 個人的な感情で修了の判を押さなかったり、試験で落としたりといった話も聞かれるが、今年8月に免許を取ったFさん(20代男性)からは次のような例が聞かれた。

「本免の試験中、特定の受験者にだけ助言していた教官がいました。他の人の試験中は黙って点数をつけているだけだったのに、その人の試験中、横断歩道に差しかかったところで『路駐車の陰に歩行者がいるよ』と注意喚起していたんです。

©iStock.com

 私から見ても、その受験者は巻き込み確認を怠ったり、速度にムラがあったり、運転がちょっと危なっかしい感じがしたので、助言がなければ不合格になっていたと思います。教官は親切のつもりかもしれませんが、『これってカンニングじゃん』としか思えませんでした」

 自動車教習所の教官は、安全運転に必要な技術や知識を教えることはもちろん、検定試験において受験者が公道を走るに足る技能を身につけているかを見極める責任がある。上のような「試験中の助言」は受験者に下駄を履かせる行為であり、運転免許制度の適正な運用を阻害するものだ。