橋の上からは旭川市街を見はるかすことができる。時折通過する自動車やバイクの音以外は、鳥のさえずりが聞こえてくるだけ。9月下旬になるとわずかに紅葉が始まっている。10月初旬の開通期間終了間近になれば、今後の寒暖差次第でさらに山々が色づいてくると思われる。わずかな訪問期間が紅葉の季節に近いことも、この“幻の道路”の名を高める要因の一つと言える。
最後の橋は「昭和生まれ」
嶺雲橋を出発すると、しばらく一直線の下り坂を進む。嶺雲橋の上からも見えた旭川市街を左前方に遠望しながら下っていき、右へ右へと大きくカーブして林の中を突き進むと、次の祥雲橋(しょううんはし)に差し掛かる。
倉沼川支流を渡るこの橋も左へ弧を描いているが、嶺雲橋に比べると全長は短い。橋上から旭川方面を望めるが、ここで再び停車する自動車やバイクは少ない。一人で橋の上に佇んでいると、反対車線をサイクリングする自転車が2台、颯爽と通過していった。
祥雲橋を渡り終えると、すぐに次の景雲橋(けいうんはし)が見えてくる。橋の袂に取り付けられているプレートには「平成4年11月完成」と刻まれている。祥雲橋にも同じプレートが見られる。嶺雲橋に設置されているプレートには「平成八年十月完成」(こちらは漢数字表記)とあるので、この道が、チョボチナイゲートとは反対側から徐々に南下して建設されてきたことがよくわかる。
この2つの橋よりもさらに早く完成していたのが、景雲橋から緩やかな下り道をしばらく快走していった先で、倉沼第一沢川の真上に架けられている清水橋(しみずはし)だ。
眼下を流れる渓流のせせらぎが聞こえる橋の欄干に掲げられたプレートの完成年月は「昭和63年10月」! 昭和時代に完成してすでに34年が過ぎようとしているのに、その間、忠別湖畔やその先の富良野方面へ抜けられるルートの一部としての役目をこの橋が果たしていたのは、通算で7ヵ月ほどしかないのである。厳しい自然環境の中で、この道路の活用を願って30余年前に建設に携わった人たちは、“幻の道路”と化した現状をどう思うだろうか。