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夜明け前から1番列車に集まる観光客

 駅前に田中角栄元首相の立像がそびえ立つ上越新幹線の浦佐駅から上越線に乗り換えて北へ2駅目にある小出駅は、5時36分発の只見線の始発列車から1日が始まる。この列車に接続する上越線の列車はない。しかも次の列車は7時間半後の13時12分までないから、只見線の旅を一日中楽しもうと思ったら、小出駅周辺で前泊する必要がある。

 ところが今回、小出駅周辺のホテルはどこも満室ばかりで予約が取れなかった。というのは、10月1日の全線運行再開以降、只見線の列車は連日大勢の観光客で賑わっていて、沿線は復旧特需の様相を呈しているらしいとの話が聞こえてきていた。ほぼ同時期に日本政府が始めた観光需要喚起策(全国旅行支援)の影響もあったのかもしれない。

夜明け前の小出駅。壁面に掲げられた「小出駅」の文字は俳優・渡辺謙の書
11年ぶりの全線復旧を祝うのぼり(小出)

 私は仕方なく、新幹線停車駅の浦佐駅近くのホテルに1泊して、翌朝5時にタクシーを呼んで夜明け前の小出駅まで走ってもらった。到着した駅舎の壁面には、地元出身の俳優・渡辺謙が揮毫したという「小出駅」の看板が、暗闇の中でライトアップされて浮かび上がっている。早朝は無人の駅待合室やホームに、只見線の1番列車を目指す旅行者が徐々に集まってくる。

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手作りのおにぎりを広げて…「明らかに鉄道ファンではない人たち」の車内

 小出駅の只見線乗り場は上越線から少し離れた4・5番線で、跨線橋内の通路の幅が3番線の先から狭くなる。「この先のホームに停車する列車は上越線より利用者が少ないです」と跨線橋が主張しているような印象を受ける。この構造は、国鉄時代からそのままだ。

 私は日本のJR全線に乗ったことがあるのだが、前回只見線に乗ったのは、JRがまだ国鉄だった昭和60年8月。跨線橋や只見線乗り場の幅が上越線より狭く、支線扱い感(?)が甚だしい雰囲気は、37年前と全く変わっていない。

 5時36分、4番ホームから2両編成の会津若松行きディーゼルカーが定刻通り出発。乗客は私を含めて31名で、そのほとんどが行楽客である。

 明らかに鉄道ファンではなさそうな高齢女性グループも複数いて、早速手作りのおにぎりを広げて会話が弾んでいる。コロナ前の行楽列車内のような光景を久しぶりに見たが、37年前の夏休みに小出から会津若松まで乗り通したときには、鉄道ファン以外の旅行者の姿を見た記憶がない。冷房がなく窓を開けっ放しで乗っていた車内もずっとガラガラだったから、車内の雰囲気からして懐かしさは全くない。