時系列が前後するが、後刻、列車を降りた後で私は只見から車を走らせて、この田子倉駅の跡を訪ねてみた。借りたレンタカーのカーナビには、田子倉駅がまだ現役の鉄道駅として表示された(Googleマップでは「田子倉駅跡地」と表示される)。
切り立った崖の真下にある駅舎は健在だが、入口が封鎖され、かろうじて中を覗き見ることができる程度。徒歩圏内に人家は全くなく、駅から少し離れたところにあるドライバーや登山客向けの無人休憩所には、「クマ出没注意」の警告表示が貼られている。
凄まじいまでの秘境ぶりだが、この辺りは豪雪地帯のため、国道252号線は毎年12月から翌年4月まで通行止めとなり、その間は福島県側の只見地区と新潟県側の魚沼地区を結ぶ交通手段は只見線だけとなる。旧田子倉駅も雪に閉ざされる。
平成23年夏の豪雨被災の後、必ずしも利用客数が多くない大白川~只見間の復旧が只見以東より早く実現したのは、復旧の程度だけでなく、唯一の冬季交通手段という特性への配慮もあったのではないかと思われる。昭和46年にこの大白川~只見間が新規開業したとき、1番列車が沿線各駅で住民の歓声や万歳に送られ、車内では高齢の地元客がみんな泣いて喜んでいたことを、乗り合わせた紀行作家の宮脇俊三が書き残している(『汽車旅12カ月』より)。
駅の内外は復旧祝い一色に
かように人里離れた峠を越えて、7時00分、福島県側最初の駅・只見に1分早着。また旅行者が多数乗ってきたが、下車客は1人もいない。11年ぶりの復旧区間はここからなので、当然かもしれない。
国鉄時代にはなかったホーム上の小さな屋根付きの待合スペースがあり、逆に当時は線路際に立っていた「これより会津」の立札はなくなっていて、駅構内にも駅前通りにも「おかえり、只見線」ののぼりや横断幕が翻っている。
平成20年に改築された駅舎内には、只見線沿線の見どころなどを写真付きで紹介するギャラリーが設けられている。全線での運行再開を、町を挙げて歓迎している空気が伝わってくる。
駅前の観光インフォメーションの案内板は日英2ヵ国語で併記されている。四季折々に雄大な山岳地帯や鄙びた農村地帯の絶景の中を走る只見線は、海外で「世界一ロマンチックな鉄道」などと評されて人気を博し、コロナ禍前には主に台湾や中国大陸、東南アジア方面から訪日観光客が大勢訪れていた。
乗客としては空いている車内の方が望ましいが、国鉄時代には鉄道ファン以外にはほとんど注目されていなかった景勝路線が、こんなに地元で存在感を発揮する国際観光路線として存続しているのは素直に嬉しい。