「ラッシュ」状態から一転、夜の1往復は…
小出行き1番列車が8時15分に会津川口を出発して只見方面へ向かうと、復旧区間は午後まで7時間以上列車がない。ただ、この間、会津川口以東では区間列車が1往復設定されているので、只見線の絶景ポイントとして知られる第1只見川橋梁(会津桧原~会津西方間)の展望台などはこの区間列車のダイヤも絡めて訪れると効率が良い。
それらの展望ポイントなどに関する話題は、すでに多くの情報がウェブ上その他に溢れているので省略し、注目度が低い夜の1往復で只見から再度復旧区間を乗車した際の見聞録をもって、本稿を締めくくることとしたい。
小出発の今日3本目の会津若松行き、つまり最終列車は、10月下旬になるともう夕暮れ時になる17時30分に只見駅へ姿を見せる。ここで30分停車するのだが、六十里越峠を越えてきた2両のディーゼルカーに乗っていたのは、スーツケースを引く若い女性旅行者1人だけだった。
その彼女も只見で下車し、代わりに乗ったのは私と、50代くらいの男性旅行者だけ。この時間から乗車しても窓の外は闇一色だから、只見線の復旧区間がお目当ての旅行者がほとんどいないのはわかるが、地元客さえ大白川からも、只見からも1人もいない。昭和時代の地味な国鉄赤字ローカル線の車内の様相が、夜の只見線には今も残っているのである。
沿線に明かりが灯る家はわずかだった
そのガラ空きの最終列車が18時ちょうど、日没後の只見を出発。まもなく、明かりが洩れている部活動中の只見高校の体育館が車窓右手を通り過ぎると、あとは並行道路を走る自動車のヘッドライトを除いて何も見えなくなる。車窓はひたすら黒いまま、カーブするときにキイキイという車輪の音だけがよく響く。
早朝に停車した片面ホームの無人駅に停車しては、旅客の乗降がなくドアの開閉がないまますぐに発車するルーティンを繰り返す。各駅の周辺に、多少なりとも民家が建ち並んでいたはずだが、明かりがついている家はまばら。住民が集まって暮らしているように見えて、実は空き家が少なくなかったらしい。