日本全国で、赤字ローカル鉄道の存続問題に関するニュースがしばしば取り上げられるようになった。
マイカーの普及により、乗客は高齢者と通学する中高生ばかり、という路線は珍しくない。しかも過疎化や少子化で通学客は減少傾向、そこへコロナ禍が重なって、多くの鉄道会社の経営体力が急速に弱まっている。「鉄道は赤字でも構わない」と断言して地方ローカル線の存在意義を熱く語った田中角栄の『日本列島改造論』の時代から半世紀を経て、社会事情は大きく変わった。
ところが、災害で運休を余儀なくされ、11年もの間列車が走らなかった福島県のJR只見線が令和4年10月、劇的に復活を遂げた。久しぶりに揺られた新生・只見線は、昼と夜とで趣きを全く異にする、令和と昭和の雰囲気を併せ持つ地方鉄道へと変貌していた。
東日本大震災の被災路線より長い「11年運休」後の復活
令和4年10月1日に運行を再開したのは、福島県の会津若松から新潟県の小出までの135.2kmを結ぶ只見線の中間部分・会津川口~只見間27.6km。平成23年7月末に新潟県と福島県にわたる広範囲で発生した集中豪雨によって、この区間は河川の氾濫等により鉄橋が多数流失するなど甚大な被害を受けた。
もともと赤字路線だったこともあり、復旧せずにそのまま廃止になるのではないかとも言われていたが、JR東日本と地元自治体との協議を経て、11年ぶりに同区間を列車が走ることになった。被災の4ヵ月前に発生した東日本大震災時の原発事故の影響で運休していた常磐線でさえ、最後の不通区間が令和2年3月に再開していたことと比べると、異例の長期運休だったと言えるだろう。
赤字ローカル線の復旧に巨額の費用をかけることの是非についてはさまざまに議論されているが、とにかく現に列車の運行が始まった以上、復旧区間に乗りに行ってみたい。そう思って10月下旬のある平日を空けてみたものの、東京から出向くにあたり、列車に乗るにも走っている光景を眺めるにも、気ままにのんびりローカル線の旅を楽しむ……というわけにはいかなかった。