48時間で消滅するはずだったウクライナがこれほどまでに持ち堪えられた要因は、この点(クラウゼヴィッツのいう「国民」の要素)にも求めることができよう。
全力を出せないロシア軍
ロシア側の事情にも目を向けてみたい。既に述べたように、プーチンはこの戦争を「特別軍事作戦」と位置付けたが、この点は戦争が長引いた後も変化しなかった。つまり、事態が公然たる戦争にもつれ込んでも、プーチンはその現実を認めようしなかったということである。
そして、このことは単なる建前論を超えて、ロシア軍の戦闘能力を大きく制約した。『ミリタリー・バランス』2022年度版によると、ロシア軍の総兵力は実勢にして約90万人程度であり、このうち約36万人が地上部隊(陸軍約28万人、空挺部隊4万5000人、海軍歩兵部隊3万5000人)とされている。しかし、36万人のうちの20万人強は徴兵で占められており、戦時体制が発令されない限り、彼らを戦場に送ってはならないということが2003年には決定されていた。
もちろん、これは建前である。2008年のジョージアとの戦争では投入された兵力の3分の1が徴兵であったと言われているし、第二次ロシア・ウクライナ戦争においても徴兵の実戦投入は何例か報告されている。しかし、たとえ建前であっても、それをしないと政府が公約した以上、これらはあくまでも違法な行為であって、事態が露見するとロシア政府は「手違いだった」と釈明して徴兵を戦地から引き上げざるを得なかった。
したがって、15万人というロシア軍の侵攻兵力は、全地上部隊から徴兵を除いたほぼ全力であったのだと考えられよう。ここに親露派武装勢力の部隊や民間軍事会社ワグネルなどを加えても、戦時動員で増強されたウクライナ軍に対して兵力で劣勢なことには変わりはなかった。
また、ロシア軍は航空戦力の活用にも奇妙にも及び腰であった。ウクライナの陸軍がそれなりの規模であったことは既に述べたが、空軍は規模も小さく、装備も旧式のままである。これに対してロシア空軍は2000年代以降の軍改革で大幅な近代化を遂げていた上、開戦前には300機以上の戦術航空機がウクライナ周辺に展開していた。多少の犠牲を覚悟でこれらを大規模に投入した場合、ウクライナは完全に航空優勢を奪われていたはずである。
しかし、実際には、ロシア軍機は国境付近からミサイルを発射しては逃げ帰るという戦い方を中心とし、激しい航空戦を避けた。この結果、ウクライナは本書の執筆時点でも約8割の航空戦力を維持していると見られ、偵察や攻撃など、地上部隊の抵抗に不可欠な支援を提供し続けることができている。
その理由ははっきりしないが、単にロシアの航空部隊が大規模な空陸連携の能力を欠いていたというだけでなく(OʼBrien and Stringer,2022.5.10.;Bronk,2022.2.28.)、政治指導部による何らかの制約を受けていた可能性も排除できないだろう。