1ページ目から読む
3/5ページ目

 こうして、ジャヴェリンは単なる兵器ではなくなった。聖母マリアがジェヴェリンの発射機を抱いた「聖ジャヴェリン」なるイラストが登場し、たちまちミーム化したのである。

ミーム化した「聖ジャヴェリン」 ©getty

「聖ジャヴェリン」が団地の壁にまで描かれ、キーウにはグッズ販売店まで出現したという一事をもってしても、このミサイルに対するウクライナ国民の信頼がうかがえよう。イスラム諸国が国旗に半月刀を描き、モザンビーク国旗にはカラシニコフ小銃があしらわれたように、ジャヴェリンは主権と独立の象徴となったのである。

ウクライナの「三位一体」

 以上のような軍事的理由に加えて、ウクライナには、ロシアの侵略に対して抵抗を貫くだけの政治的・社会的足腰があった。プロイセンの軍人にして軍事思想家でもあったカール・フォン・クラウゼヴィッツが述べるところの「三位一体」がそれである。

ADVERTISEMENT

 クラウゼヴィッツは、戦争を「拡大された決闘」と位置付けた。つまり、戦争というのは二人の男が暴力で相手を屈服させようとする行為を国家規模に拡大したものだということである。しかも、暴力の行使は敵による対抗的な暴力行使を引き起こし(「第一の相互作用」)、そのことは、「私が敵を打倒してしまわぬ限り、私は敵の方が私を打倒するのではないかと常に恐れていなければならない」という状態を作り出す(「第二の相互作用」)。

 その結果、当初は敵を打倒するのに必要十分な規模で始まった暴力行使は、敵味方の間で無制限にエスカレートしていく(「第三の相互作用」)とクラウゼヴィッツは考えた(クラウゼヴィッツ2001)。

 こうした戦争観に決定的な影響を与えたのが、フランスのナポレオン・ボナパルトが引き起こした一連の大戦争(ナポレオン戦争)の経験であったことは広く指摘されている。戦争は暴力闘争であるという、ある意味で当然のように思われるテーゼをクラウゼヴィッツが強調するのは、これ以前の戦争が必ずしも激しい暴力行使を前提としていなかったためであった。

 ナポレオン戦争以前の欧州においては、軍隊は貴族層の「財産」であり、しかも一度軍隊が壊滅すると再建が難しいため、大規模な犠牲が出る決戦を避けて小規模な勝利を積み重ねる「制限戦争」の形が一般的にとられていた(石津2001年3月)。

 したがって、当時の欧州では「維持費用のかかる常備軍の指揮官は、できる限り戦闘を避け」、「機動戦で、なるべく敵の領土で行われ、しかも敵国の地方の資源を使い、敵を徐々に消耗させる」ことに注意が払われる傾向が強かった。

 つまり、ナポレオン以前の戦争は「儀式的」な性格が強く、究極的には「戦闘そのものが消失するかもしれない」とさえ予見されていた(ハワード2021)。