「聖ジャヴェリン」の加護の下で
ウクライナ軍がロシア軍の猛攻にこれだけ持ち堪えられたのはなぜなのだろうか。理由はいくつか挙げることができよう。
第一に、ウクライナ軍は決して弱体というわけではなかった。同国の総兵力は開戦前の時点で約19万6000人とされており、これは旧ソ連諸国では第2位の軍事力である。さらにウクライナは、内務省の重武装部隊としてドンバス紛争を戦ってきた国家親衛軍6万人、国境警備隊4万人という有力な凖軍事部隊を保有しており、これらを合計すると30万人になる(IISS,2022)。
対するロシア軍の侵攻兵力は15万人(開戦前のバイデン大統領の発言)、親露派武装勢力を加えても19万人ほど(同時期における米OSCE代表の発言)とされていたから、実は正面戦力比ではウクライナが優勢であった。榴弾砲や多連装ロケット・システムなどの火力、戦車や装甲車両といった機甲戦力の点数ではロシア軍が遥かに優勢であったため、単純な比較はできないが、手も足も出ないというわけでは元々なかったことは確認しておく必要があろう。
第二に、ウクライナは広い。国土面積は約60万㎢と日本の1.6倍にも及び、多少の侵攻を受けても地積を戦略縦深として反撃のための時間を稼ぐことが可能であった。さらにキーウ北方にはプリピャチ湿地と呼ばれる湿地と森林地帯が広がっており、これが天然の防壁として機能したことにも触れておく必要があろう。さらにウクライナ側はロシア軍の侵攻と同時にプリピャチ川のダムを決壊させて人為的な洪水を引き起こし、さらに300以上の橋を破壊して、ロシア軍が限られた道路上を進まざるを得ないように仕向けた。
ただ、ウクライナ軍は、火力や機甲戦力の面でロシアに対して圧倒的に劣勢であった。しかもロシア軍の侵攻はキーウに対してだけでなく、東部や南部からも行われたため、首都防衛の戦力は圧倒的に不足していたとされる。そこでウクライナ軍は、キーウ近郊の軍事訓練センターを基礎として、軍と治安部隊から成る急ごしらえの防衛部隊をいくつか編成し、訓練用の予備兵器まで引っ張り出してロシア軍を迎え撃たざるを得なかった(Washington Post,2022.8.24.)。
ここにおいて、米国や欧州が供与した対戦車ミサイル・ジャヴェリンが威力を発揮した。これが第三の理由である。特に有名なのはキーウ北東部のブロヴァルイで行われた戦闘であろう。進撃してきたロシア軍中央軍管区第90戦車師団は、街中に潜んでいたウクライナ軍から対戦車ミサイルの待ち伏せ攻撃を受けて大損害を出し、師団長まで戦死するという結果に終わった。ベラルーシ側から進撃してきたロシア軍も限られた進撃路をそこここで阻まれ、車列は60㎞以上に伸びきってしまった(ただし、当時のウクライナ軍にはこの格好の標的を叩くだけの空軍力を持たず、後にロシア軍は比較的整然と撤退した)。