今まで映画を作ってきて、原作があるものばかり、なおかつ原作ファンの多いものに手を付けてしまっている感じなんです。原作のファンが多いと、アウェイで試合するみたいな気持ちになることもありますね(笑)。
原作もののほうが映画化が進みやすいというのは前提としてあるけれど、その中でも普通にやったら難しいよねっていう原作を選ぶようにしています。
「この映画やばい!」小説との一番の違いは
岸田 私が一番すごいと思ったのが、冒頭の里枝(安藤サクラさん)のシーン。
あのシーンを見た時に、「この映画やばい!」って思いました。何をするでもない、ただボールペンを整理するのをわりと長い時間観させられて、でもとても印象的で。後から小説を読むと、そうは書かれていない。「ゆっくり染み入るような寂しさ」とだけ書いてあるんです。
その一文がああいう形で映像になるって、「翻訳」の仕事やなと。冒頭に映画にしかないシーンを描いていて、本当にすごいなって。大祐(窪田正孝さん)が鏡をみて、涙するシーンもそうですよね。
平野さんは平野さんの言葉で小説を書いて、石川さんは石川さんの言葉で、映像で表現する。ふたりの表現方法は違っていて、それぞれがわかる言葉で語り直すというか、一流同士の掛け合いのすごさを見た感じがしました。
石川 とても嬉しいです。映画の場合は、役者と一緒に作れることが大きいですよね。先ほどの文房具屋のシーンは、「文房具屋に座っていて涙が流れてくる」という台本だったと思うのですが、サクラさんが、「ちょっと立ってペンを並べてもいいですか?」って提案してくれて。
芝居が変わるので大変な部分もありますが、サクラさんがあの文房具屋の椅子に座った時にどういう感情になるか、何か単純作業をしている時にそういう感情が湧くというのは、やっぱり本人にしかわからないことなので。小説と一番違うのは、実際にそこに人がいて、役者とその場で作っていけるという所かと思います。
読んでいる人たちの中で映像ができあがっていることも
岸田 なるほど。私、「ある男」の原作を読んで、ボクシングジムでの記述があんなに短いと思わなかったんですよね。先輩とランニングしているシーンとか、絶対、原作にもあると思っていたのに。だけど、伝わってくる感情は一緒なんですよね。今までは映像を見ていて違和感を覚えることもあったんですが、「ある男」にはなかったんですよね。原作と全然違うことを書いている、語っているのに、同じことを言っているという。こんな体験初めてでした。
石川 平野さんの一文一文が本当に強いので、そこから、わーっとイメージが湧くというか。
岸田 でも、文章が強かったら、モノローグにしちゃいませんか?
石川 モノローグって、すごい負けた感じがするというか(笑)。やっぱり真剣勝負だとは思うので。読んでいる人たちの中で映像ができあがっていることも多いので、初恋みたいな状態になっているじゃないですか。だから、ぼろくそ言われることもありますよ。どうあがいても最初は難しいんですけど、そこを乗り越えられたときがすごく嬉しい。
岸田 この作品は、原作をまだ読んでない人が映画を観て、原作に辿り着いて欲しいなって思いました。
そして、めちゃくちゃアホな質問で申し訳ないんですが、映画監督と対談するのが初めてなので聞いてみたいことがあって......。監督って、役割としては何をやる人なんですか?