「担任は逃げたんだな、と思いました」
午後になると、母親が学校に呼ばれ、校長と副校長と話し合う。校長は「申し訳ありません。改善させますから」と言ったが、母親は「改善は無理だと思う。息子は納得しない」と主張した。そのやりとりの繰り返しが続く。最終的に母親は「警察のほうに相談させてください」と言い残した。母親はこう語る。
「その日に光が丘警察署に2人で相談に行きました。事情を話すと、『犯罪にあたるかどうかはわからない』と言っていましたが、最終的には強制わいせつ容疑になるということでした。翌日18日(水曜日)の早朝、担任は逮捕されることになりました。2日後に釈放されたんですが、警察から『万が一、家に行くかもしれません。戸締りするか、他に避難してください』と注意喚起がありました」
ただ、事件が明るみに出ても、野島さんには葛藤があったという。
「被害者になって、学校で気まずい感じがしました。授業の面で、新しい先生に来てもらったりと、みんなに申し訳ないと思いました」
その翌日、警察から再び連絡があり、「(担任が)早朝に亡くなった」という。野島さんは担任が亡くなったことを聞き、こう思った。
「警察が隠さずに連絡をしてくれたのはよかったです。ただ、担任は逃げたんだな、と思いました。『なんで?』という怒りもありました。加害をした側が亡くなったのではどうしようもない。今でも許せないという気持ちは変わりません」
SNSで誹謗中傷、「修学旅行に行けなくなった」
学年は騒ぎとなった。しかし、学校側が十分な説明をしなかったこともあり、被害届を出した野島さんの二次被害につながる。冒頭のような誹謗中傷のことばが、被害者である野島さんに向けられたのだ。
6月になって、亡くなった教諭のものと思われる、ツイッターの裏アカウントが発見された(現在は削除されている)。そこには、猥褻な写真のほか、未成年男子とデートしていると思わせる写真などがあがっていた。そのため、余罪の可能性が暗示され、野島さんへの批難は沈静化していった。
野島さんが被害に遭う前に思っていたように、多くの生徒にとって、嫌っていた担任ではない。生徒によっては親しみのある存在だった。その担任が亡くなったことで、〈ぶっ殺してやる〉などとSNSで野島さんへの誹謗中傷が続いた。中には、〈覚悟しろ/痛い目にあわせてやる〉とLINEのステータスメッセージに記していた生徒もいたという。
「担任が逮捕された原因が、自分のせいだと思われていました。約2ヶ月間、そのメッセージを出しっぱなしにされて、すごく怖い、恨まれているんだと思った。今も本人からの謝罪はありません。これが原因で、自分は修学旅行に行けなくなった。その生徒と行動班が一緒だったためです。その生徒は普通に修学旅行に行きました。とても悲しかったです。
また、事件が起きたことが原因で、今まで仲良く話せていた同級生と、そうでなくなってしまったことがすごく悲しかったです。事件直後に誹謗中傷があったけれど、きちんと謝罪してくれた人たちが、事件の何が悪かったのかきちんと理解してくれたことは救われました」