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父親は開業医、家族仲のいい“可愛らしいお嬢さん”

「娘さん(平林さん)も1つ下の弟さんも小学校から私立で、きちんと制服を着て学校に通うお嬢さんというイメージでした。まだ小さい頃にお母さんが病気で入院して亡くなってしまい、祖母が世話をしに一家に通っていたようです。それから父親が祖父の病院を継ぐ形で今の家に引っ越してきて、家族仲良く暮らしていました。

 地元では子供が熱を出したり、大人がインフルエンザに罹ったりした時には『まず平林さんのところに』というぐらい評判が良い病院なんですよ。コロナが流行り始めてからも、周りの病院と違って発熱外来も受け付けてくれ、ありがたかったのを覚えています」

平林さんの自宅。父親は近所でも評判の信頼のおける開業医だった ©文藝春秋

 近隣からの評判もすこぶるよかったという平林さん一家。近隣住民からは平林さんが父と家の前を歩く光景もたびたび目撃されている。取材中、なかには「外出する時にはピンクのふわっとしたスカートをはいている可愛い子よね」と出てくるように、“お嬢さん”として認識されていたようだ。

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 近所で評判の“お嬢さん”がラブホテルの一室で殺害される――。あまりにギャップが大きく、「何があったのか」とクビをかしげる近隣住民も多かった。

 大人しい印象だったという平林さんだが、自己表現をしたいという願望もあったようだ。高校生の頃には阿波踊りのパフォーマンスをする団体に所属していたこともある。団体関係者が話す。

阿波踊りの団体に所属していた頃の平林さん

「2014年の冬、高校で開催されたイベントに阿波踊りをするウチの団体が出演したのですが、それに憧れたのか、年明けすぐに平林さんが『加わりたい』と応募してきたのです。当時はそこまで高校生が多かったわけでもなかったので、積極的な子だなと思いました。

 特に本番前は練習熱心で、2015年夏には下北沢、2016年春に馬込の桜まつりで彼女も踊りを披露しました。本番ではお父さんなどご家族が見に来ていて、仲が良いんだなと思いました。本人は『恥ずかしいから来ないで欲しい』と言っていましたが……。

 メンバーの中心にいる友達が多いタイプではなくて、どちらかといえばシャイな感じでした。どこか自分の居場所を求めてきているようで、少し精神的に不安定そうに見えた時もありましたが、素直で良い子でしたよ」

 その後、平林さんが阿波踊りを辞めている。そして新たに踏み出した道が、アイドルだった。