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記事にされることを前提として、喋る必要がある

 また、同じく2011年、沖縄県・普天間飛行場の辺野古移設の環境アセスメント書類の提出時期に関して、当時の沖縄防衛局長・田中聡さんが、オフレコの懇親会で本件について「これから(女性を)犯す前に犯しますよと言いますか」と発言してもちろん記事になり、無事更迭されるという事件もありました。いくらなんでも例えが悪すぎるだろ。

 なので、政治家や高級官僚におかれましては、新聞記者を適切に手なずけて、意図することを適切にメディアで報じてもらうことを狙ってオフレコ発言を行うものの、その発言の中身や捉えられ方によっては堂々と紳士協定を破られて記事にされちゃうことを前提として慎み深く用心して喋る必要があるのだ、と言えます。よほど信頼関係のある媒体・新聞社の番記者でも、その人のクビを取る意図で発言をメモしている可能性は低くないのです。

 しかも、今回の荒井さんの発言によって、LGBTなど性的マイノリティに対する保護法案の検討も含めた対応をしましょうという流れになりました。むつかしいのは、同性愛者の婚姻を認めるなどの要件をどう見るのか。単純な婚姻制度の問題だけでなく、憲法における婚姻の位置づけなど、いままで避けてきた議論が改めて提起されてきている点は特筆すべきところです。

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©AFLO

同性婚は日本の法制下で保護される対象となるべきなのか

 ニュージーランドの国会議員が、同性婚をめぐって「愛し合う二人が(制度的に)結婚することのどこが悪い」、「誰にも迷惑をかけていない」と議会で論じた動画が流通して、さらにはG7でも同性婚を認めていないのは日本だけだという話も出てきます。

 他方で、これら諸外国における同性婚の問題は、むしろキリスト教的価値観における同性愛の忌避と、それも個人の自由であり社会のなかでの多様性を認めるべきだというリベラリズムとの戦いでの象徴的な問題となったのであった側面もあります。日本のように、そもそも織田信長が森蘭丸を戦場に連れて行くなどの衆道(親分と小姓との男色の契り)は問題とされておらず、「オネエ系」と呼ばれていたタレントがテレビに出てお茶の間で愛されているわけでして、諸外国からすると制度的云々は無関係に日本社会では割と幅広く同性愛者など性的マイノリティが市民権を得ている面もあります。

 憲法は同性婚自体を禁じていませんが、現行の日本の法制下において保護される結婚・婚姻の対象となるべきなのでしょうか。日本の結婚・婚姻制度は、男性と女性との間での生殖可能性を前提に設計されているとも言えます。相続であれ育児であれ、なぜ結婚している男女が法律で庇護され優遇されるのかと言えば、この男女だけでなく育む子どもの保護もまた法趣旨として企図していることは明らかで、憲法学や家庭に関する法学をやっている人であれば、大学の一般教養のレベルで学ぶ、基本的なことの一つと言えます。