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 実際それは間違いとも言えず、原作版コミックの掲載誌『なかよし』の担当編集者であった小佐野文雄氏はオリコンのインタビューの中で、当時の読者・ファン層の男女比が男女4:6であったことに対して「さすがにこの比率には驚きました」と、当時の女子向け作品として異例の「男性受け」した作品であったことを振り返っている。当時多くの男性向け同人誌が作られた「男性オタク受け」する作品であったことも事実なのだ。

 だが一方で、フェミニズム的メッセージを体現した作品と評価の高い『キャプテン・マーベル』で主演を務めたブリー・ラーソンは、セーラームーンを見るために家に帰り、1秒も見逃すまいとしていたと語る。ピクサーで等身大のアジア系少女を描いたCGアニメ『私ときどきレッサーパンダ』を制作したドミー・シー監督は、「もう一つのガーディアン・オブ・ギャラクシー」と題したセーラームーンの手描きイラストを投稿し、思春期に大きな影響を受けたことも明かしている。

「日本の男性オタクが喜ぶ性的表象と、女児や海外の女性クリエイターをエンパワメントする作品は常に対立関係にあり、決して両立しない」という近年のSNSの一部で主張される価値観に、セーラームーンは当てはまらないのだ。

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 なぜセーラームーンは女児にもオタクにも受けたのか。セーラームーンの演出を務めた幾原邦彦は、前掲のアニメージュ鼎談の中で興味深い発言をしている。

三石琴乃の声が入って「そうだったのか!」

幾原 あの企画を聞いて、大抵の人は「キューティーハニー」みたいな(イロっぽくてカッコいい)作品になると思ったみたいなんです。僕もそうなんだろうと思っていたら、佐藤さんは「違う」って言って。佐藤さんが描いた1話の絵コンテを見ても、なにが「違う」のかよくわからなかった。それが色がついて、音がついて、三石琴乃さんの声が入って、ああいうかたちになって「そうだったのか!」という。

 

庵野 1話、よかったですからね。

 

幾原 あそこに「セーラームーン」の全てがありますね。

 後に『少女革命ウテナ』を手がけることになる幾原邦彦がここで語っている「違い」は批評的言語で説明しにくい、色や音、声優の声でしか伝わらない繊細なセンス、ニュアンスだ。だが、映像作品の本質はそうした、声優の発声のような観客の無意識に訴える表現の中にこそ、本当のメッセージが現れる。

 三石琴乃の声が入って「そうだったのか!」と気づいた「違い」がなんなのか、幾原邦彦は鼎談の中で明確に言語化してはいない。だがそれは当時、女児もオタクも含めた多くの視聴者が鋭敏に感じ取った、言葉にできない「違い」だったのだろう。