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 筆者は長年「優れた朝ドラとは、優れた群像劇である」説を唱えている。「ヒロイン至上主義」「ヒロイン中心に回る世界」ではなく、その時代、その世界を共に生きる複数の人物の人生を刻みつけるという作業は、半年間でひとつの「絵巻」を作る朝ドラの醍醐味といえる。その「群像劇」を極めるところまで極めたのが、『あまちゃん』ではないだろうか。

 天野アキ(能年玲奈/現・のん)というひとりの女の子をヒロインに据えながらも、『あまちゃん』は、東日本大震災の前と後を生きる「北三陸」の人々、東京の芸能界の一角とその周辺に生きるひとりひとりの姿を、実に瑞々しく描いた。

©文藝春秋

 本作の脚本を手がけた宮藤官九郎は、舞台、ドラマ、映画、どの作品でも、登場するすべての人物のキャラクターや生き様を粒立たせる名手として知られるが、『あまちゃん』で見せたその手腕は、とりわけ優れていた。このドラマに登場する誰もが「主人公」だった。それはつまり地続きで、見ている私たちの物語でもあるのだと思わせてくれた。

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祖母、母、ヒロイン「三世代の物語」

 多くの朝ドラにはヒロイン、ヒロインの母、ヒロインの祖母という「三世代」が登場するが、『あまちゃん』ほど強く「祖母・母・娘、三代の物語」を打ち出した朝ドラは初めてだった。

 このドラマでは前編(北三陸編)・中編(東京編)・後編(東京〜再び北三陸編)で、ナレーション、すなわち「語り部」がそれぞれ祖母・夏(宮本信子)→アキ→母・春子(小泉今日子)とバトンタッチしている。つまり、3人それぞれが「ヒロイン」だったのだ。

 8年後の朝ドラ『カムカムエヴリバディ』(21年)が成し遂げた「3代ヒロインのバトンタッチ」には、『あまちゃん』の意匠も少なからず影響しているのではないだろうか。

小泉今日子 ©文藝春秋

“虚実混交”が生み出す説得力とグルーヴ

 虚実が入り混じり、交差するキャスティングの妙も際立っていた。「アイドルを志してオーディションを受けた」という春子の過去は、それを演じる小泉今日子のデビュー前の逸話とシンクロするし、アキが“弟子入り”する大女優・鈴鹿ひろ美の「若い頃は清純派のアイドル女優だった」という設定も、それを演じる薬師丸ひろ子の来歴に通ずる。