1ページ目から読む
4/4ページ目

「事務仕事だけするべき」という反発も

――山岸さんにとって、後継の指名は予想外でしたね。

山岸 遺言により人生が変わったと言っても過言ではなく、これほど大変だとは思っていませんでした。叔父の亡き後、他の親族にも配慮しつつ、あまり自分が目立たぬよう葬儀を出し、遺志に従って家じまいと墓じまいを進めていければと考えていました。

 ところが親族の間では、私が当主であることが受け入れ難いようなのです。煩雑な法律の手続きを一つ一つ心を込めて進めていますが、私がいかに心を砕いて務めているか、親族や関係者が無関心なことに哀しさも感じています。「事務仕事、後処理だけするべき」というお考えも分からなくはないのですが、徳川慶喜家の最後の責任を負った立場を理解していただけたらと願っています。

ADVERTISEMENT

 それゆえに、対外的にも徳川家の中でも、自分の立場を明確にする必要があると感じました。それまでは周りに配慮し「当主」という言葉を避けてきたのですが、止むを得ず、叔父の死から5年経った今年1月に、5代目当主であると対外的に表明いたしました。家じまい、墓じまいは、当主しかできない仕事だからです。

谷中霊園にある、徳川慶喜家の墓所 ©杉山拓也/文藝春秋

――実際に継いでみたら、ご苦労の連続だったわけですか。

山岸 私はそれまで、純粋にクラシック音楽やゴルフが好きな専業主婦でした。そんな折、仲良くしている独身の叔父が病気になり、とても気の毒でしたし、私を頼ってきているのに見捨てる事など到底できず、私なりに心を込めて看病してきました。

 別に徳川だからという事ではなく、私がやるべきこととして、努力してきたつもりです。しかしその向こうには深い歴史があることに、後から気づく事になりました。「ウチって、本当に徳川家だったのね!」と。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。