あっという間に島を横断し、右岸(西側)の橋を渡る。島の端から端まで70メートルほど、徒歩1分で横断してしまった。右岸の水門は“千町大水門”といい、昭和59年の銘板があった。反対の左岸にあった千町川大水門とは“川”の一字の有無によって区別されている。
改めて川岸から眺めてみると、とても不思議な光景だ。さらに不思議なのが、川の中に建っているのが公共施設ではなく、普通の民家だという点だ。しかも、いかにも歴史がありそうな茅葺き屋根の立派な日本家屋だ。水門は昭和末期の建設なのに、民家はどれも古くからある邸宅に見える。いったいどのような経緯でこのようになったのか、とても気になった。
川に浮かぶ小島に民家が立ち並ぶようになった経緯
川の中にポツンと数軒の民家がたたずむ光景。地上からでも十分に興味深い光景だが、写真で撮るとどうしても分かりにくい。
どこか高いところから眺めることができないかと、周囲を見渡すと水門の北東に山が見えたので、登ってみた。山の名前は水門宮山。水門がある千町川の左岸一帯は岡山市東区水門町という地名となっており、山の頂上付近には稲荷神社がある。そのため、水門町のお宮さんがある山ということで、この名称になったのだろうと想像する。
稲荷神社の最も高い場所まで行ったが、残念ながら木々が視界を遮り、高所から水門を見ることはできなかった。雰囲気のよい神社にお参りができたので、よしとしよう。
山を下り、高台を求めて下流側に移動した。河口となる水門湾の近くに、ちょっとした丘がある。先ほどの水門宮山よりも低いが、なんとか眺められるのではないかと思い、登ってみた。こんなにも高い場所を求めて登りたくなるとは、これまでの人生の中でもまず無かったことだ。
丘の中腹には墓地があり、その上には畑があった。畑に至る通路から、かろうじて水門が見えた。水門の集落を見渡すにはもう少し高さが足りないが、ほかに高台や高い建物は見当たらない。地上から水門の島を見渡すには、ここがベストポジションだろう。
やっとのことで水門の集落を眺めた後、歩いて車に戻っていると、水門の近くに1台の軽トラが停まっていた。運転席に乗り込もうとしていた古老に声をかける。この光景を見るために岐阜から来たのだと話すと、親切に色々と教えてくれた。
最初に、なぜ川の中に民家があるのか聞いたところ、元々、2基の大きな水門を管理するための人が住んでいた家だという。しかし、水門は昭和末期の建造と比較的新しいのに、家は昔からあるように見える。いつ頃から川の中に家があるのか、聞いてみた。すると、意外すぎる答えが返ってきた。