『茜唄(上)』(今村翔吾 著)角川春樹事務所

 人は唄い、語り継ぐ。平家一門の興亡を描いた『平家物語』は、琵琶の弾奏とともに語られて庶民に広がった。作者も成立年も定かでないが、時を超えて人々に愛されている。

 本書は、『平家物語』を題材にした歴史エンターテインメント小説だ。平安時代末期の治承4年(1180年)から、寿永4年(1185年)までを主に描いている。日本各地で反乱が相次ぎ、栄華を極めた平家一門が滅亡に至る、わずか5年の凄まじい変転を駆け抜ける主人公は、平清盛の四男で“最愛の息子”、平知盛だ。反乱軍の追討で活躍し、水島の戦いで木曾義仲を破り、一の谷で源義経の奇襲に敗れ、壇ノ浦に散った人物である。

 知盛を主人公にした本書は、新解釈を交えた今村版平家物語だ。“おごれる人”が滅ぼされる、源平合戦の構図ではない。平家も源氏も朝廷も、一人一人の動きを丹念に追い、人間像と歴史のうねりを浮き彫りにしている。清盛はなぜ、頼朝ら源氏の血筋を残したのか。次の時代を切り開いたのは頼朝の「功績」だったのか。零落の途にあっても一門が結束し、老いも若きも支え合う平家と、鎌倉から動かない頼朝が義経ら弟たちを戦場に向かわせ、やがてはその命を奪う源氏の、「家族像」の対比は鮮やかだ。病弱だが才気あふれる知盛は、〈幾ら飾り立てたところで、己たちがやっていることは所詮殺し合いなのだ〉と、戦を変えようとする。亡き父清盛の眼差しを追い、連綿と続いて民を苦しめる戦をなくす、国のかたちを追い求める。

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 著者の小説は、その時代を懸命に生きた人々の姿をありありと描き出す。本書も知盛をはじめ、妻の希子(きこ)や子供たち、「王城一の強弓精兵(つよゆみせいびょう)」と謳われた剛勇無双の平教経、院政を敷く後白河法皇ら一人一人が鮮やかに造形され、家族の情愛と戦いの軌跡、駆け引きに引き込まれる。また新解釈を、物語を通して描き切っている。戦を変えた男、義経と知盛の関わりは読みどころだ。『平家物語』と史料を踏まえて新しい物語が構築されていて、歴史小説の醍醐味を味わえる。

 ある人物が、琵琶を奏でて唄う場面で本書の物語は始まる。対峙する男に伝えるのは、『平家物語』。伝授する物語と二人の語らいを通して、知盛の生涯がよみがえる。〈新中納言知盛は平家物語の中に生きている。奏で、唄う度に逢うことが出来る。だがその度に別れも訪れる〉。平家が滅びたあとに『平家物語』は生まれた。なぜ書かれ、何を伝えようとしたのか。

〈次の時代を切り開いたのは、戦場を駆け巡り、涙を、血を流した者たちではないのか。そこには勝者も、敗者も、平家も、源氏も関係ない〉。そこに人がいて、人の「真」が紡がれているから、『平家物語』は時を超えて愛されるのではないだろうか。知盛の、人々の鮮烈な姿に胸が熱くなる。見事な歴史小説だ。

いまむらしょうご/1984年、京都府生まれ。2017年『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』でデビュー。18年『童神』で角川春樹小説賞、20年『八本目の槍』で吉川英治文学新人賞、『じんかん』で山田風太郎賞、22年『塞王の楯』で直木賞を受賞。『幸村を討て』『イクサガミ 地』など著書多数。
 

あおきちえ/1964年、兵庫県生まれ。フリーライター・書評家。日本推理作家協会会員。読売新聞、東京新聞などで書評を担当。