2000年代初頭、NHKのネタ番組『爆笑オンエアバトル』で無類の強さを誇り、女性芸人唯一のゴールドバトラーになった田上よしえさんのインタビューをお届け。
実力派の女性ピン芸人だった彼女は、今年3月に芸人仲間の藤井ペイジのYouTubeチャンネルに出演した際、すでに芸人を引退していることを発表した。いったいなぜ芸人として生きることをやめたのか? まずは「これまでの芸人人生」について振り返ってもらった。(全2回の1回目/後編を読む)
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「芸人になりたいと思ったことは1回もなかった」
――小さい頃はどんな子供でしたか?
田上よしえ(以下、田上) 芸人だから、人を笑かして喜んでたのかなと思われがちなんですけど、そういうのは一切なかったですね。どちらかと言うと内気な「TOO SHY SHY GIRL」でした。もともと芸人になりたいと思ったことも1回もなくて。
アイドルになりたいっていうのはあったんですよ。いわゆる聖子ちゃんとか明菜ちゃんとか。昭和の女の子はアイドル一択だった気がします。あと、芸能界に入りたい、テレビの中の人になりたい、みたいな感じはありました。
――テレビが大好きだったんですね。
田上 もうめちゃくちゃテレビっ子でしたね。昔の娯楽ってテレビしかないですから。ネットもないし、ピッチもポケベルもないですから。
――ピッチとポケベルは今もないですよ! 芸能界に対する憧れが強かったんですね。
田上 そうなんですよ。小学校の卒業式のときに、自分の将来の夢をポエムみたいにして流すというのがあって。私は「芸能人になりたい」って言いたかったんですけど、やっぱりすげえ恥ずかしいじゃないですか。「オメエがなれるわけないだろ」と思われるのが恥ずかしくて、ベタに「お花屋さんになりたい」って言ってました。
――最初は芸人ではなく俳優や歌手を目指していたんですよね。
田上 そうなんですよ。18歳のときにテアトルアカデミーというタレント養成所に入って、歌とかお芝居の勉強をしていました。2年間ぐらいいたんですけど、本当にちょっとしたエキストラぐらいしか仕事がなくて、そこを辞めてしまって。
また別の芸能事務所に入ったら、そこもレッスンしかやらせてもらえなくて、辞めて。そこからいろんなところに履歴書を送っていました。それで、とある音楽事務所で面接を受けたら「何がやりたいの?」って聞かれて、「歌とかお芝居とか、あとバラエティにも出てみたいですね」って答えたんです。
そこで「バラエティだったらお笑いをちゃんと勉強したほうが良いんじゃないの。知り合いがいるから紹介しようか?」って言われて、紹介されたのが(今の所属事務所の)人力舎だったんです。人力舎の芸人養成所の「スクールJCA」っていうところに入ることになって。
――もともと芸人志望ではなかったのに、そこに入ることに違和感はなかったんですか?