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「此御部屋の中だけの御話でございます」

〈朝鮮事変の中共介入御心配の御話あり。之は私の勝手のグチだがとて、米国が満州事変の時もつと強く出て呉れるか、或いは適当に妥協してあとの事は絶対駄目と出てくれゝばよかつたと思ふとの仰せ。又五五三の海軍比率〔ワシントン海軍軍縮条約の内容〕が海軍を刺激して、平和的の海軍が兎に角く、あゝいふ風に仕舞ひに戦争に賛成し、又比率関係上堂々と戦へずパールハーバーになつたの故、春秋の筆法なれば Hughes 国務長官 〔Charles Evans Hughes チャールズ・エヴァンズ・ヒューズ、元国務長官〕がパールハーバーの奇襲をしたともいへるとの御話故、これは此御部屋の中だけの御話でございますと申上ぐ。〉

 かなり過激である。天皇は、1931年の満州事変のとき、関東軍が暴走したことをアメリカがもっと強く批判してくれたならば、その後の軍の暴走は防げたはずだと言っているのである。自分の大元帥としての責任はここでは欠如していると言われても仕方がない。

 さらに、1922年のワシントン海軍軍縮条約における主力艦の保有比率が日本に不利なものになったことで、海軍に反英米感情が高まったのだと天皇は述べる。そして、正々堂々と戦える戦力を有していなかったから、真珠湾攻撃のような奇襲作戦をするしかなかったと強調して、それはアメリカが引き起こしたものともいえると田島に述べたのである。

田島道治氏(田島家所蔵)

 さすがに田島もこの発言は相当にまずいと思ったのか、「此御部屋の中だけの御話でございます」と注意しており、その後の天皇がこうした発言を公式的な場でしたことは確認できない。ただ、天皇がアメリカも含めて戦争責任があると考えていたことは重要だろう。

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 たしかに、昭和天皇が戦争の責任を感じていたことも事実である。悔恨の感情はあった。ただし、一身にそれを背負うつもりもなかった。むしろ、多くの人々にもこの戦争を招いた要因があり、自分だけではなくそれらすべての人々が責任を負わねばならないと考えていたのである。「拝謁記」からはそうした天皇の考え方がよりリアルに伝わってくるのではないか。