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「恩を受けたら返さないと天国に行けない」と思う人々

高野 すごくいいエピソードですね。先生が親切にしたら気に入られて、お返しの連鎖に入れたという。

酒井 こちらがちょっとした親切をしたら、気の利くやつが困ってそうだったらお返しをしよう、と(笑)。ムスリムは、恩を受けたら返さないと天国に行くことができないと思っている人たちですからね。ささやかな親切から、そういう信頼関係の連鎖に入っていくことがアラブ社会では重要な気がしています。

高野 そういうムスリムの美徳って、当人たちにしてみれば当たり前のことですが、外の人間だからこそ発見できるものってありますよね。イラクの人と文化は、これはもっと現代的な視点で再評価されてよいのではないかと思う、新鮮な発見が沢山ありました。

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酒井 その点でいうと、湿地帯のマーシュアラブ布に目をつけた探検家って、おそらく高野さんが初めてだと思うんですよ。これまで、伝統的な舟や家の作り方、水牛の記述はあるのですが、この布は特別だよねという話をした探検家はいない。すごく色鮮やかで美しい布です。この本を読んでふと、私が昔バグダードに住んでいたとき、ソファーの上に何か掛けてあったのがこの布だった気がすると、記憶を呼び覚まされたんです。

ホドルで現在つくられているマーシュアラブ布 ©️高野秀行

 先に触れたように、湿地帯に住んでいた人たちの一部がバグダード近郊に移った時期がありますから、バグダードの人たちは、知らず知らずのうちにあの布を自分たちの文化圏のものだと思っている。市内に普通に出回っていた時期もあるのではないかと思います。

 マーシュアラブ布がそんなに貴重で、湿地帯の限られた場所で作られてきたとは、私自身この本で初めて知りました。

高野 イスラム圏には、有名なペルシャ絨毯やキリムのようなものがいろいろありますが、アザールを最初にみたとき、模様があまりにも不思議で「なんだこりゃ」と思ったんですね。太い毛糸を使った刺繍で、しかも絵柄が全然イスラム的ではない。イスラムは偶像崇拝を禁止していますから人の顔などは描かないし、動物も幾何学的な模様で処理される。ところがアザールはそんなのまったくお構いなしに、子供がお絵描きするみたいに、少女や鳥などが自由奔放にデザインされていて。

自由奔放な図柄/榊龍昭氏所蔵 ©️高野秀行

酒井 ちょっとナスカの地上絵みたいで、ラテン系というか。