伊集院静さん「あんたと選考会をやるのは楽しかったんだ」
会場が笑いに包まれる。
「でも、その言葉を糧に、それから少し頑張って、翌々年、推理作家協会賞をいただきました。
北方さんにはこの場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
そしてもうお1人は、この間お亡くなりになられた、伊集院静さんです。
一緒に直木賞の選考委員をやらせていただいたんですが、私が選考委員を退任することになって、最後の選考会のあと、受賞者を祝うお店で飲んでいたら、他の店で飲んでいた伊集院さんがやってこられたんです。なぜかサンダル履きでした。
『受賞者を祝いに来たんじゃないんだよ、あんたに話があってきたんだ。あんたと選考会をやるのは楽しかったんだ。だってあんたさ、話してるうちに意見変えるもんな』」
再び、笑い。
「『だから、話し甲斐があるんだよ。他の連中はさ、(候補作の評価について)◯(マル)ったら◯のままだろ? ✕(バツ)ったら✕のままだろ? でもあんたさあ、◯が急に✕になったり、✕が◯になったりするからな。それがいいんだ』
伊集院さんは、そうおっしゃってくださった。大変嬉しかったです。
なぜなら、そんなふうにコロコロ意見を変えるのが、私の得意技だからです。
さきほど小泉元総理の話がありました(注・阿川さんが受賞者の一人小澤氏について話す中で、首相在任中は原発推進派だった小泉さんが退任後反対派に転じた話に触れた)。日本には政治家を筆頭に、一旦言い出したら意見を変えちゃいけない、考えを変えるのは恥だ、という雰囲気があると思います。
でも、そんなことはないです。原発を勉強して危ないなと思ったら、賛成から反対に転じて、おおいにけっこうじゃないですか。
ここにいるみなさんも、意見を変えたら恥だとか、一旦ああ言っちゃったからな、もうひっこみつかないな、なんて思っていませんか?
そんなことはないんです。いくらでも意見は変えていいんです。全然構わないですよ。
そうしないと、話し合いって進まないじゃないですか?
明日から、もう今夜から、他の人の意見を聞いて『昨日と言ってることがぜんぜん違うじゃないか』となっても、いいじゃないですか?
人間は、変化したほうがドラマチックです。
そうやって肩の力を抜いて、どんどん変化して生きていきましょう」
人間は、変化したほうがドラマチックーー。
変化を恐れず、少し前の自分にこだわらず、常に新しい自分を楽しむ。そういう気持ちで日々の執筆と向き合っているからこそ、東野圭吾という作家はこれほど長く、新鮮な作品を書き続けているのかもしれない。伊集院さんへの哀悼の思いのこもった、力強いメッセージだった。