理事長ポストを巡って農水省が必死の抵抗
河野氏が理事長に就いたのは、リーマン・ショックの余波が続く2009年4月1日のことだ。3月29日に1.9兆円に及ぶ増資に漕ぎつけ、間一髪で経営危機を免れた直後だった。
だが、天下り先を失う農水省は、最後まで別の対抗馬を立てようと抵抗したという。
「当初、農水省幹部は『小林芳雄元次官を後任に』と上野氏に圧力をかけてきました。東大出身の小林氏は、2006年に次官になったものの、翌年、金銭問題によりわずか8日間で退任した遠藤武彦農水相の煽りを受けて退官していた。農水省は何とかポストを確保しようと必死に画策したのです」(農林中金OB)
最後は、上野氏が「生え抜きでないと乗り切れない」と主張。河野氏の就任が決まった。農水省は代わりに小林氏を農林中金総合研究所の理事長職に就けようとしたが、天下り批判を受けて、これは見送られた。
プロパーとして初めて理事長となった河野氏は就任早々、増資引き受けを決断した全国の農協や県信連幹部に、こう約束した。
「4年で経営を安定化させ、配当を復活させます」
リーマン・ショックで凍り付いた市場がいつ回復するかは不透明で、投資する証券化関連商品は値段が付かない異常な状態。売却を急げば、巨額の損失を免れない。保有し続けるためには資本の充実が必要だったが、全国の農協もこの農林中金の決断を支持した。
当の河野氏はこう語る。
「厳しい状況ではありましたが、実は農林中金が保有する有価証券には、優良なものも非常に多かった。市場は必ず正常化すると確信していたので、焦りはありませんでした」
農林中金の保有する有価証券の多くは最上級の格付け「AAA」だった。
「リーマン・ショック時に問題にもなった証券化関連商品『RMBS(住宅ローン担保証券)』についても、AAA格のシニア債(最も安全な部分)を保有していた」(前出・関係者)
巨額増資は「時間を買う」最良の妙薬となった。河野氏の約束は、2年前倒しで達成される。2011年3月期に無配から利回り3%に復配し、その後、さらに6%まで配当を引き上げることに成功した。
2018年、その河野氏からバトンを受け取ったのが、現・理事長の奥氏である。
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本記事の全文「農林中金の本命と対抗 次期トップ「大本命」が突如退任したのはなぜか」は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています。