うつ病のカジュアル化が生んだ偏見
長いあいだ、たんなる気持ちや性格の問題、あるいは「一生、精神病院に隔離(かくり)される不治の病」といった目でみられがちだった患者にたいして、「ひとりで悩んだり隠したりせずに、気軽に医者に相談していいんだよ」とうながしたのです。この点では、かりにSSRIを普及させたい製薬会社や精神医学界の意向がはたらいていたとしても、このコピーはすぐれていたのだと思います。
しかしこうしたうつ病のカジュアル化は、逆に「こころの風邪なんだから、医者にかかって薬をもらえばすぐ治るんだろう」という、もうひとつの偏見を生み出すことになりました。(2)
「こころの風邪」ということで仕事を休ませてもらっても、きちんと薬を飲んでいるのに数か月も、1年以上も回復しない。そうなると私もそうだったように、患者は「自分はふつうのうつ病とはちがう、助からない病気ではないか」とおびえたり、「『風邪でいつまで休んでるんだ。なまけじゃないのか』と同僚も疑っている、もう職場には戻れない」と追いつめられたりします。
そもそも、抗生物質で風邪がなおるように、抗うつ薬でうつはなおるのでしょうか。
じつは従来から難治(なんち) 性(治療抵抗性)のうつ病といって、相当数の患者には薬物療法の効果がみられないとされてきました。じっさいに臨床試験によれば、最初に投与された薬で症状が消える人は、じつは5分の1~3分の1のみ。薬を3か月ごとに新しいものに切り替えて、1年後に回復にいたる人が、ようやく3分の2というのが実情です。(3)
3~5人に1人しか薬が即効性を持たない病気を、「風邪」と形容するのが適切でないことはあきらかだと思います。
もっとも、そこから「だから抗うつ薬なんて意味がない」、さらには「うつ病なんて、薬を売りたい製薬会社がでっちあげた病気なんだ」といった極論(きょくろん)に飛びつくのも、理性的ではありません。
「抗うつ薬、じつは効果なし」といった見出しで話題になる医療記事も、よく読めば「抗うつ薬とプラセボ(偽薬)のどちらを投与されても、同程度の割合が回復した」というデータ、つまり薬を出してもらっているという安心感が治療に役立ったことを示すもので、限定つきながらむしろ、薬物療法の意義を認めているともいえるのです。(4)
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(1)北中淳子『うつの医療人類学』日本評論社、2014年、13・202頁。
(2)岩波明『うつ病 まだ語られていない真実』ちくま新書、2007年、21・223頁。
(3)岡田尊司『うつと気分障害』幻冬舎新書、2010年、192頁。
(4)坂元薫『うつ病の誤解と偏見を斬る』日本評論社、2014年、137頁。