本作で注目された柴咲のもとには、次々と大きな仕事がやってくるようになった。現場でうまく演じられなくて「ぜんぜんダメ」「帰っていい」と怒声を浴びるほど、反骨精神に火がついて「もっとうまくなりたい」と燃えた。こうして演じることに魅了されていった柴咲は、またたく間に人気女優になり、20代の間に次々と話題作やヒット作に出演することになる。
30代、イメージに悩んだ時期を超えて大河主演
アーティストとしての活動も始まり、歌で自分自身の内側から出てくるものを表現していった。一方、演技をすることは、監督の要求に応えて、与えられた役割をまっとうすることだと考えていた。28歳の頃のインタビューでは次のように語っている。
「お芝居することは仕事だと思っています。芝居はその作品の中で活かされているわけで、監督の持ち物という感じがしますね」(とらばーゆ 10年2月11日)
「気が強そう」「どこか陰がある」という役柄のオファーが続けば、柴咲のパブリックイメージは強化されていく。周囲から期待される自分を演じることと、本当は臆病で内向的な自分とのギャップに苦しんだ時期もあった。
それが大きく変わったのは30代に入ってから。周囲との折り合いのつけかたがわかるようになり、生きやすくなった。まわりのことを気にしすぎていても仕方ない。自分の直感を信じて、自分が「ワクワクすること」を選び、自分の人生を作り上げていくしかない。そう思い至った頃に出会ったのが、大河ドラマ『おんな城主 直虎』だった。
柴咲は直虎について「自分がどう生きるか、どう潤うかということより、周りがどう潤って豊かになっていくかということを常に考えている姿勢にとても魅かれます」と語っている(エンタメOVO 17年1月1日)。楽しみながら1年以上におよぶ撮影を完走し、クランクアップ時には「体力ありあまっています。あと1年ぐらいできそう」と言ってのけて周囲を驚かせた(MANTAN WEB 17年10月11日)。
自然環境との調和をベースに、社会貢献できるプロダクツやコンテンツの提供を目指す会社、レトロワグラースを起業したのは『おんな城主 直虎』撮影中のこと。直虎の「利他主義」も影響を与えたのかもしれない。女優、音楽、起業の3つの柱が相互に刺激しあっていた30代は、柴咲にとって充実した時間だったはずだ。
「10代、20代の頃より30代の今のほうが生きやすくなり、“自分に与えられた役割を全うしよう”という気持ちが強くなりました」(『週刊朝日』19年5月24日号)
『ガリレオ』から内海薫が消えた理由
ドラマ『ガリレオ』に出演したのは、20代半ばの頃。内海を演じる自分自身の役割を次のように考えていた。