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 全七話を読み終えると、この『花咲舞が黙ってない』が、TVドラマのテンポのよさを保ち、花咲舞の啖呵の痛快さも維持しつつ、それだけではない深みを備えた小説に仕上がっていることを体感するだろう。ひとりひとりが確かな存在感を持ち、それぞれに自分なりの人生を重ねてきた面々が集い、互いに影響を及ぼし合って、この物語は完成しているのである。フィクションの痛快さと、フィクションだからこそ描きうる苦いリアリティを極めて高い次元で両立させた一冊なのである。

TVドラマと新聞連載

 この花咲舞の新作は、読売新聞の二〇一六年一月十七日から十月十日にかけて連載された。今年(一七年)の五月に刊行された『アキラとあきら』は、〇六年から〇九年にかけての雑誌連載に相当手を入れてから発表されたが、新聞連載からさほど間を置かずに刊行された本書『花咲舞が黙ってない』は、ほぼ連載時のままだという。

 とはいえ、新聞連載の段階では、当初の構想と異なる展開もあった。連載の途中で、新聞社からもっと続けて欲しいという要請があり、それに応えて終盤の大きな闇に費やす枚数を増やしたのだという。予定にない延長だったとはいえ、『花咲舞が黙ってない』の完成度や充実度という観点でいえば、結果的にはありがたい要請だったといえよう。

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 連載に際して池井戸潤は、読者が朝刊で毎日続けて愉しめるものにすべく、軽く読めるものを意識したそうだ。主人公も、それなりに世間の認知を得たキャラクターがよかろうと考えた。また、純然たる長篇にしてしまうと、連載途中でついて行けなくなる読者が出てくる可能性があることも気にしたという。そうした考慮の結果、一四年、一五年と二度にわたってTVドラマ化された花咲舞を主人公とする連作短篇集という枠組みが決まったのである。であるが故に、執筆時にはTVドラマのテイストも意識した。池井戸潤は具体的に役者をイメージすることはせずに書いたというが、おそらく、多くの読者は脳裏に杏をはじめとするあの俳優陣を浮かべつつ読み、しかも全く違和感を覚えないだろう。つまりは、ドラマの視聴者が朝刊の連載小説にすんなりと入り込めるということだ。ちなみに、花咲舞の父(大杉漣演じる幸三)が営む居酒屋「花咲」は、ドラマでは重要な役割を果たしており、レシピ本が出されるほどであったが、本書には登場していない。残念といえば残念だが、第三話の別府や第五話の寿司屋など、魅力的な飲食シーンはこちらにも登場しており、読者としては十分な満足を得られるだろう。

 連作短篇集という形式についていえば、池井戸潤はこれまでにも『銀行総務特命』(〇二年)や『仇敵』(〇三年)など、いくつも発表してきている。そうしたなかで、著者本人が節目の作品と位置付けているのが、『シャイロックの子供たち』(〇六年)だ。この作品は、登場人物のそれぞれに著者として心を寄せて、それに基づいて物語を動かすという作劇法に池井戸潤が到達した一冊である(一話ごとに視点人物を交替させてその人物をくっきりと描きつつ、それらの短篇が全体で一つの物語を構成するかたちで書かれていた)。『シャイロックの子供たち』以降のすべての池井戸作品は、この作劇法で生み出されてきており、本作も例外ではない。そうした観点で舞や相馬以外の登場人物の心にも目を配って読んでみて戴きたい。必ずや発見があるはずだ。

 そうそう、『花咲舞が黙ってない』は、書籍としては十三年ぶりの続篇になるが、花咲舞が主役の中篇が単独で電子書籍として販売されていることも紹介しておこう。二〇一〇年十一月から翌年六月にかけて『ニッキン』(日本金融通信社)に連載された「犬にきいてみろ」だ(つまりはTVドラマ放映前の一作)。ある人物の不正を暴こうと花咲舞が奮闘する作品だ。独立した作品ならではの花咲舞の弾けっぷりと、ユニークでとぼけた結末が愉しめるミステリであり、読み逃す手はない。