上海人は去った。いま東京にいるのは……
また韓国に持ち込まれるコピーブランド工場が山東省に集中しているという設定も、現実そのままだ。山東省は韓国と黄海を挟んだ対岸であるため「近い」という理由がその背景となっているからだが、それ以上に重要なのは中国政府の政策だ。
中国は進出してきた韓国企業の韓国人が、東北の朝鮮族と深く結び付くことを警戒していた。彼らは朝鮮語によって簡単にコミュニケーションをとることができ、同胞意識を高めるのではないかと恐れられたからだ。そのため中国政府は、韓国企業の誘致を山東省に集中させ、そこに封じ込めることで管理しようとする政策を採ってきたのだ。
しかし、こうした中国の分断の試みも現実の前には効果はなく、韓国企業はやがて大挙して東北部に進出してしまったのだ。
東北といえば、日本における中国人犯罪もいまや東北部とは切っても切れない関係だ。そうした事情も、本書の中でも正確に描かれている。
〈「上海グループ、今、東京に少ないよ。多いのはほとんど東北ね。吉林や黒竜江省」
「朝鮮族なの」〉
水原が新宿で交わすたったこれだけの会話だが、作者のリアリティーへのこだわりを感じさせる。
21世紀の初めにピークを迎えた中国人犯罪は、日本経済の衰退にともなってあっという間に下火になっていった。もはやチャンスは日本にはなく、中国にこそあると彼らは口をそろえた。目敏い上海人やきめ細かい密航ルートを持つ福建人たちは、日本が落ち目だと見るや変わり身早く方向を転じ、一部はアメリカに向かい、一部は中国に帰っていった。そして彼らの代わりにやって来たのは情報過疎地帯である東北人たちだったのだ。上海人や福建人が日本から抜けた穴を残留孤児グループが埋めたという事情も手伝ったのだろう。残留孤児といえば東北部がほとんどでルートもそこに集中しているからだ。
物語の中では、朝鮮半島、中国の朝鮮族、そして日本の中にある在日勢力という民族を“媒介”した一つの力が徐々に結び付いてゆき、クライマックスへと向かってその全貌を現してくる。
主人公の水原がターゲットとし、結着を望むのは中国朝鮮族の新世代マフィアのボスと殺し屋だ。作品中で、中国人の貧困と犯罪との親和性について言い当てた、白理のこんな一言が心に残った。
〈「コネとお金がなかったら、貧乏人はずっと貧乏人だよ。けれども誰かが気づいた。コネもお金もなくても始められるお金儲けがある。犯罪よ」〉
中国大陸に広がるきしみの音が、この作品からも聞こえてくる。
(2011年1月)