海外に対する地方と東京の意識の差
アメリカから帰国し、すぐに地元の中学校に転入したみずきは、「生きづらさ」を感じていた。学校生活で感じた疎外感は「いじめっぽい」ものもあり、みずきは「いじめっていっても軽い仲間外れくらいだったけど」と言ってはいたものの、15歳の子どもにとって、その経験がかなり苦痛であったのは間違いないだろう。だからみずきは、日本での中学校生活を「生きづらかった」と振り返っているのだ。
いくら「外」から来た人であっても、自分たちとは違う雰囲気を纏っていても、「バケモン」と呼んでいい理由にはならない。しかし、そのような異質なものに対しての拒否反応には根深い環境の問題があるようだ。
みずきの語りから考えられることの一つに、地方と東京での海外に対する意識の差がうかがえる。みずき曰く、地方と東京では帰国後の学校の選択肢の数が違う。東京ならばそもそも学校の数が多いので、私立なのか公立なのか、さらにそれぞれ何に注力しているのか、学校の特徴を吟味することができる。みずきには当時、学力を維持しつつ、自宅から通える距離にある中学校は公立しか選択肢がなかったという。
また、公立だとしても、地方と東京では、海外との接点の母数が違うとみずきは言う。たしかに東京では、海外から来た方を見かけることは全く珍しくないし、外国文化に触れられる機会も格段に多い。みずきは、「帰国子女の枠がある学校に行ったほうが、(生きづらさという面で)よかったと思う。なかったけど」と振り返っている。地方と東京の間にある海外に対するイメージの差異を解消することが、日本の多様性の幅を広げるための課題なのかもしれない。
外国人の気持ちが分かる「日本人」でありたい
みずきは、過去に苦痛な経験をしつつも、現在はそれらを咀嚼し、「生きづらさ」の経験が多様性への理解へとつながっているという。帰国子女の中には、帰国子女というプライドを存分に振りかざす人もいるようだが、みずきはそのタイプではない。みずきは「生きづらい」という経験で、世の中には様々な思考を持つ人がいると学んだそうだ。
みずきは、帰国子女というブランドが負の方向に働くことがあることを知っている。だから「外国人かぶれの帰国子女ではない自覚がある」と、海外の経験と雰囲気を前面に押し出すことはしないようだ。みずきは経験を振り返って次のように言った。
みずき:外国人になりたいんじゃなくて、ベースは日本人で、外国人の気持ちが分かる人でありたい。
あくまでもみずきの根本的な意識は日本にあるのだ。