冒頭で「(著作権を管理する)プリンス財団は本作と無関係」とテロップが出て、「何だこれ!」とびっくりさせる。そう、映画にプリンスの曲はほぼかからない。
じゃあ、ミュージシャンが主役の映画で音楽以外に何を期待するのかって? それはね、彼の生い立ち。彼はなぜ創作に駆られていたのかを理解する一助になるよ。
プリンスはアメリカ中西部ミネソタ州のミネアポリス北部に生まれた。冒頭のテロップには、「本作をプリンスと北ミネアポリスの皆様と世界中のプリンスファンに捧げます」と出る。それがこの映画のめざす本質だろう。
1960年代、黒人が圧倒的に少なかったミネアポリスでプリンスは少年期を送った。全米で公民権運動が広がり、ミネアポリスでも人種差別に対する抗議や暴動が相次いだ時期だ。
世相が騒然とする中、地元に黒人コミュニティ施設「ザ・ウェイ」が開設された。1970年から彼はここで同世代の仲間たちと楽器に触れ、演奏を楽しみ、バンドを結成する。そして27種類の楽器を弾きこなすまでに成長する。
同様に数千人の若者がここで育ったという。こうして「ミネアポリス・サウンド」と呼ばれるファンク、ポップ、ロックなどを融合した音楽ジャンルが誕生した。その中心にプリンスがいたんだ。
内気でアンプの方ばかり向いてギターを弾いていた
大成功を収めてもプリンスは故郷を離れなかった。ミネアポリス郊外に「ペイズリー・パーク」という自宅兼スタジオを構えた。ありようは違うが、マイケル・ジャクソンの自宅兼プライベート遊園地「ネバーランド」を思い出す。人づきあいの苦手なスーパーセレブの隠れ家。栄光と孤独の象徴。
それだけじゃない。地元の教育支援団体に資金を提供し、楽器を贈って、子どもたちが音楽に親しめる環境を整えた。かつて自分が「ザ・ウェイ」で経験したように。
でも支援について生前に明かすことはなかった。地元に育ててもらったことへの感謝の念があったんだろうね。「ザ・ウェイ」の代表が語っている。