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樹木希林が突然現れ「会いたかったのよ、あなたに」

内田 画学生たちの遺した絵の収集に、3年半かけて全国を行脚されました。

窪島 最初は野見山先生と一緒に訪ね歩きました。当時、先生は72歳、僕が51歳。後半は僕ひとりで。ご遺族から絵を預かるだけでなく、画学生の思い出話を伺うんです。出征の朝、「あと5分」「あと10分」とキャンバスに向かい続けた人、誰にも告げずにひとりで出征した人……涙なしでは聞けないエピソードが山のように集まりました。

内田 窪島さんの執念ともいえる取材力ですね。今日は無言館でイベントがあって大勢の方が集っていました。窪島さんは御年80歳。拝見していると、同年代ぐらいの方から話しかけられると話があまり続かない。でも、若い人とは同じぐらいのテンションとノリでポンポンポンとお話が弾んでいました。その差がとても興味深いです。

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窪島 若者というのは、まず予定調和しないでしょう。「いやー、いいお話でした」とか、そういうのがない。でも年を取るほど言うんです。年を取るということは、たいていの人は一つずつ何かを着込んでいくんですけれど、僕の場合は脱いで裸になっていくような感覚があるんですよね。裸になっていく人のほうが話が弾みます。あなたの母上もそういう人でしたね。

内田 はい、何もかも開けっ広げで、誰かに対してじゃなく、自分に対してのプライドの所在がはっきりしてましたね。母との付き合いはどのように始まったのですか。

窪島 2015年のこと、彼女が突然、やってきたんです。一目見れば樹木希林さんだというのはわかった。その大女優さんが「会いたかったのよ、あなたに」と言うものだから、びっくりしちゃった。児童文学作家の灰谷健次郎さんから、しょっちゅう僕のことを聞かされていましたって。

内田 灰谷さんとは、母は自称“がん友だち”だったから。

窪島 僕は無謀にもその場で「無言館では毎年4月29日に新成人たちが、彼らと同世代である戦没画学生の絵を前に決意を新たにするという『成人式』を開催しています。来年のゲストとして来てくれませんか」と頼んだんです。後日、希林さんの直筆で「引き受けさせていただきます」と書かれたハガキが届いた。ろくに式の説明もしていないのに。

 さらに金沢での表彰式の帰りに、打ち合わせのために上田に寄ってくれるという。「でも、有名人をどこへお連れしたらいいものか」と迷っていたら、「一番いいのは駅の待合室よ。サインを求められても写真を撮られても、ちょっと我慢していればみんな次の列車に乗って行っちゃうから」とおっしゃった。

 そして当日、駅で待っていると、当然グリーン車から降りてくるものと思っていたら、自由席からトコトコ歩いてきた。それで、「8000円浮いた」って自慢げに言うんです。

内田 主催者側がグリーン車を取ってくれたのに、払い戻したんですね。母がやりそうなことです。

窪島 すばらしい。僕は惚れちゃいましたよ。待合室ではなく、その8000円で2人でウナギを食べに行った。なんて楽しい食事だったんだろうと思い出します。印象に残っているのは、「私ね、あなたみたいなワイルドには慣れてるのよ」だって。

内田 はい、ものすごくワイルドなロックンローラーが近くに1人いましたから。

窪島 也哉子さんのご主人の本木雅弘さんのことは、「彼が来たことによって、ようやく内田家を立て直すことができたのよ」って感謝されていましたよ。

内田 そんなこと言っていましたか。