北川民次(たみじ・1894―1989)は1914年(大正3年)に兄を頼ってアメリカに渡り、数年後にメキシコへ。かの地で15年を過ごし、1936年(昭和11年)に42歳で帰国したことから「メキシコ帰り」の画家として知られます。

 本作のタイトルは「二十年目の悲しみの夜」。制作年が1965年であることから、日本の敗戦から20年という意味だと分かります。戦後の日本の民主主義のありようを、北川はメキシコのカトリックの葬儀風景に仮託して描いたと考えられています。この絵には悲しみや苦悩が表れているのですが、同時に希望も感じさせる力強さがあります。

北川民次「二十年目の悲しみの夜」(「北川民次展―メキシコから日本へ」図録より引用)

 構成は、カーテンが三角形の山形を成し、その裾部分を黒い服をまとった女性たちがどっしりと支える安定したものです。中央には子供とみられる小さな人が安置され、その周囲には色とりどりの花々。死者よりも取り巻く人物群の方が目立っているのですが、全員が視線や身振りを中央に向けていることで、求心性が保たれています。

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 人々はそれぞれに違った表情や身振りで各々の感情を表しているのが分かるでしょうか。前景ではメキシコの伝統的な黒いヴェール姿の女性たちが手を合わせる祈りのポーズをとっていますが、1人は頭の上にこぶしを突き上げて憤っているよう。また、画面左側の男性の1人は髪をかきむしって嘆き、もう1人は花を捧げて片手で顔を覆って悲しみを示しています。溶けたロウソクまで、涙を流しているように見えてきます。

 このような暗い場面なのですが、花々の色鮮やかさと死者の穏やかな表情が重苦しさを和らげています。さらに、構図が作り出す上昇する流れと、上部に配置された大きなロウソクの輝きに、上向きになっていく希望が込められているようにも感じられます。

 北川がメキシコに渡った1921年は、同国の民主革命直後の時期にあたります。芸術に求められたのは、西洋絵画とは違うメキシコ芸術としての独自性と、非識字者にも届くよう視覚的に革命のメッセージを伝えるという政治的な役割でした。そこで起こったのが壁画運動です。西洋にも壁画はありますが、主に室内を飾るもの。メキシコにはもともと壁画の伝統があった上に、この壁画運動は公的施設の外壁を飾るもので、誰もが見られるという点がユニークでした。その後、この壁画運動はメキシコ発で外国へも広がりを見せていきます。

 北川はこの壁画運動には直接参加していませんでしたが、芸術は民衆にメッセージを伝えられるものであり、画家は社会に対する考えを表すべきだと知ったのでした。彼は政治的なものを扱うときでも激しい批判という形をとらず、その中で生きる人々の姿を丁寧に描き出すことで浮かび上がらせました。ですから、この絵も当時の日本社会を象徴しつつも、主になっているのは人々の死者を悼む姿や想いなのです。

 私たちは来年、戦後80年を迎えます。この絵が示す悲しみと希望が、来し方行く末を考え、想うきっかけとなりますように。

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「生誕130年記念 北川民次展―メキシコから日本へ」
名古屋市美術館にて9月8日まで
https://art-museum.city.nagoya.jp/exhibitions/post/kitagawatamiji/