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 1926年には、長らく逗子のシンボルになる逗子なぎさホテルがオープンし、ますます別荘地、リゾート地としての色が濃くなってゆく。ただし、戦前にあってはいまのように庶民が気軽に足を運べるようなリゾート地とは少し違っていたことはまちがいない。

 逗子駅は、この町がリゾート地として発展するよりも前、1889年に開業している。大正天皇が葉山御用邸で崩御すると御霊柩列車が逗子駅から原宿の宮廷ホームまで運転された、というエピソードも残る。

 

 対する京急は1930年に開業した。そのときは湘南逗子駅と名乗っていたが、この“湘南”は地域名ではなく、当時の湘南電気鉄道という社名を取ったものだろう。

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戦時中に廃止された駅も終戦3年後に復活…あの「妙に細長い構造」の駅ができるまで

 湘南逗子駅は、いまの逗子・葉山駅にたどり着くまでにだいぶややこしい変遷を経験している。

 開業翌年には線路を400mほど海に向けて延伸し、南端に湘南逗子葉山口乗降場を設けた。これは、逗子海岸へのリゾート客が増えてきた時期であり、そのお客の輸送を当て込んだのだろう。

 1942年には、戦時中ということで湘南リゾートなんてもってのほかの時代になったからなのか、葉山口乗降場は廃止されてしまう。しかし、戦争が終わって3年後には再び延伸、葉山口乗降場は逗子海岸駅という新しい終着駅として復活する。

 1985年には開業時からの駅と逗子海岸駅を統合し、中間付近に現在の駅が完成。当時は新逗子駅と名乗り、2020年に逗子・葉山駅に改称している。こうした歴史を顧みれば、妙に南北に細長い構造をしているのは、南北ふたつの近接した駅をくっつけて生まれた駅だから、ということなのだろうか。

 

 そして、このあたりでさすがに触れておかねばならないだろう。1956年の芥川賞を受賞した、石原慎太郎の『太陽の季節』。

「太陽の季節 ここに始まる」という碑が逗子海岸の南の端に立っていることからもわかるように、逗子海岸は『太陽の季節』の舞台だ。芥川賞受賞と映画化されての大ヒット。それを受けて、“太陽族”と呼ばれる若者たちがいわば聖地として逗子海岸を訪れるようになったという。