海辺の町におきた戦後の「変化」
この太陽族というのは、海はルールを守って安全に楽しみましょう、というのとはまったく違うタイプの人たちだったようだから、それまではハイソな別荘地だった逗子に暮らす人々も戸惑ったにちがいない。
ただ、逗子海岸の知名度向上に貢献したのも疑う余地のないところ。そうして一億総中流の時代になって、別荘を持たない庶民でも誰でも、気軽に足を運べる海水浴場へと、逗子海岸は変わっていった。
いまの逗子海岸は、要人の別荘地らしい厳然とした海辺でもなければ、享楽主義的な太陽族の集まるおっかない町でもない。むしろ規模の小ささゆえか、他の巨大な湘南の海水浴場と比べれば、いくらか落ち着いた、そしてかわいらしい海水浴場といった雰囲気だ。
かつて逗子なぎさホテルがあった場所はファミレスになっていて、その周りにはマンションなども目立つ。
ただし、逗子の町のマンションはベッドタウンとしてのマンションというよりは、やはり海を愛する人のためのものなのだろう。大きなサーフボードを立てかける設備もあったりするから、もしかしたら夏場だけやってくるような人をあてこんでいるのかもしれない。
海から少し離れると、入り組んだ路地のような細い道の両サイドには大きなお屋敷がやっぱり目立つ。このあたりは別荘地のDNAといったところか。そんな路地の中を歩いて、再び駅前を目指す。都市として成立したのが比較的新しいのに、この町の道はくねくねとカーブしたり入り組んだり、迷路のようだ。
迷路を抜けた先は、県道が横須賀線の踏切を渡る少し南の池田通りという名の交差点。そこから逗子駅に向かっては、線路に沿って「なぎさ通り」という商店街が通じている。こちらも逗子銀座通りに勝るとも劣らない、実に湘南らしい商店街だ。ここまで来れば、人通りも増えていて駅前の空気感である。
逗子の町は、三方を山に囲まれて一方は海という、小さな鎌倉のような町だ。町全体がちょっと大きな秘密基地のような、そんな愛らしさもある。
今年の夏も、もう終わりだ。逗子海岸では店じまいの作業をしている海の家もあった。駅前は活気に満ちて、それでいて賑やかさが勝ちすぎず、路地を分け入って海辺に出ればかわいらしい逗子海岸。同じ湘南、隣町でも、鎌倉とはまた違った魅力に溢れる、海辺の町である。
写真=鼠入昌史
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