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東出さんから出された“宿題”

 カメラマンも帰り、おっちゃんたちもめいめい仕事に(?)戻り、さあ私たちも東京に帰ろうという時、東出さんはうんと大きな伸びをして、「芝居、頑張ろう!」と大きな声で言った。その時ふと、1年前に東京駅の新幹線の改札前で初めて東出さんと会った時のことを思い出した。初対面のあの時、東出さんの身体は今よりも細く、雑踏の中に身を隠すように、無意識に猫背がちだった気がする。挨拶した時の表情にはまだ少し陰りがあったし、目には少なからず警戒心が宿っていた。

 けれど、目の前の東出さんは「この生活をしていたら自然にそうなった」という、一回り大きくなった体を思いっきり広げ、晴れやかに笑っている。その姿は秋田県の山の中で見たクマみたいに生命力にあふれていた。

©︎文藝春秋/釜谷洋史

 取材の終盤、東出さんはこんなことを口にしていた。

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「僕は去年のクマ対談で半日を過ごす中で、記者さんのことを信頼できると思ったから、こうしてインタビューを受けました。でも、こうやって質問にいくら答えたところで、僕の今の状況は明確に伝わらないと思う。記者さんが僕と過ごした時間の中で感じたこの情景、景色、義守さんの笑顔、大村さんが昼から酒飲んでること……。それを記者さんの言葉でエッセイのように書いてくださったら、そっちの方が今の僕を明確に伝えられる情報だったり、それこそがジャーナリズムだったりするのかなと、僕は思ったりします」

 大変な宿題を出されてしまった。いや、挑戦状? そういうわけで、雑誌記事とは別に、記者によるエッセイ+ロングインタビューという形で、オンライン特別版のこの記事を書かせていただくことになった。

「快楽主義者」なのか?

 そして私は今、岩波文庫『エピクロス 教説と手紙』を読んでいる。ギリシアの哲学者で、人間にとっての最高善の快楽は精神的な快楽であるとした「快楽主義者」。その精神的快楽とは、人間の欲望のうち、「自然で必要な欲求」だけを追求し、「平静な心(アタラクシア)」を得ることにあるとしている……。と、なんでこんな本を読んでいるかと言うと、インタビューの前日に焚き火を囲んでいる時、東出さんがワインを飲みながらこう話していたからだ。

©文藝春秋/釜谷洋史

 

「スキャンダルがあって、『東出は快楽主義者だ』と言われた時に、僕は快楽主義者なのか?と思って、エピクロスの著作を読んだんです。そこに、『水とパンで暮らしておれば、わたしは身体上の快に満ち満ちている』『チーズを小壺に入れて送ってくれたまえ、したいと思えば豪遊することもできようから』と書いてあって。それを読んで、こうありたいなと思ったんです」

 東出さんは山の自然、動物たち、そしてここで出会った人々との交流の中で、今の彼の人生における「水とパン」を見つけたんだろうなと思う。花林さんとの再婚も、この生活を享受する者同士、「自然で必要な」成り行きだったんだろう。そうやって自己充足している東出さんに対して過去のスキャンダルを引き合いに、「なんでお前が……」と声を上げる人もいる。けれど、今や「アタラクシア」状態の彼は、誰が何を言おうが、炎上しようが、揺るがないのだ。