日本にやってきたが…コアラの死があいつぐ
こうして来日したコアラだが、最初の6頭は先述のとおりみんな雄だった。雌コアラはまず翌1985年5月、平川動物公園に4頭がやって来る。東京と名古屋にも同年9月に雌が各3頭来園する運びとなった。だが、出発前の検疫で、名古屋へ送るコアラのうち1頭が伝染病にかかっていることがわかり、同室にいたほかの2頭ともども輸出できなくなってしまう。そこで急遽、ニューサウスウェールズ州政府とタロンガ動物園および多摩動物公園が協議して、東京に送る予定の3頭のうち1頭が名古屋へ譲られることになった。
しかし、日本に来た雌のうち、東京の「パープル」と鹿児島の「ユカリ」が来園して間もない9月、10月に立て続けに死んでしまう。いずれも死因は、環境の変化になじめないためのストレスによるものと見られた。東京ではこのあと11月にも雄のトムトムが急性腎盂膀胱炎で死んでいる。この年の10月には新たに埼玉県こども動物自然公園にもコアラが来る予定であったが、日本であいつぐコアラの死を受け、オーストラリア政府は一時輸出を禁止する。おかげで埼玉にコアラが来たのは半年遅れ、1986年4月となった。
日本で初めてコアラの赤ちゃんが誕生
こうして不幸が続いたあと、日本初のコアラの赤ちゃんが誕生する。出産したのは、東京に行くはずが先述の事情から名古屋に譲られたあの雌コアラだった。ブルーというその雌は来園した翌年、1986年2月末に雄のコロコロとの交尾が確認され、10月4日には育児嚢から赤ちゃんが全身を出す。これをアウト・オブ・ポーチあるいは出袋(しゅったい)と呼ぶ。この子供(雌)は「ハッピー」と名づけられた。
じつはこの時点で、日本の動物園にはコアラの出産日を決める統一見解がなかった。それというのもコアラの分娩を確認するのが難しかったからで、そのためハッピーの誕生日も当初は出袋した日とされた。だが、その後、各個体の登録書をつくる上で統一見解が必要になり、分娩を確認した場合はその日、確認できない場合は出袋日から180日さかのぼった日を出産日とすると定められた。これにより、ハッピーの誕生日も180日さかのぼって同年の4月4日となった。