同僚のホステスを殺害して15年逃亡…かつて世間をにぎわせ、ドラマ化もされた「松山ホステス殺害事件」。犯人の福田和子(享年57)はどんな人生を生き、なぜ人を殺さなければいけなかったのか? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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「崩れそうな家が建っているって話だよ、親から行くなって言われた場所だから、行ったことがないんだよ」
松山ホステス殺人事件の犯人で、時効の3週間前に逮捕された福田和子。2009年、彼女が中学生時代に暮らしていた愛媛県今治市にあるハーモニカ横丁の場所を地元の男性に尋ねると、そんな答えが返ってきた。
何人かに聞き取りをしながら、何とかハーモニカ横丁を探し出すと、ただ崩れそうな家はなく、屋根付きの車庫がいくつか並んでいるだけだった。それを道路の反対側から眺めると、なるほどハーモニカのように見えなくもない。ただ、ハーモニカのように優しい音色を奏でるわけでもなく、福田和子の母親は、この場所で飲み屋を経営し、ホステスに自宅で売春をさせていたのだった。当時小学生だった彼女は、男と女の生々しい営みを目に焼き付けて育った。
実家は売春宿…福田和子の幼少時代
彼女の生まれは、愛媛県川之江市(現四国中央市)、それから母親が漁師と再婚し、瀬戸内に浮かぶ来島へ、島という環境ゆえによそ者には厳しく、生活はうまくいかなかった。
その後ここ今治へ、それから彼女は男ができ高松へ、そこで窃盗を犯し、刑務所へ入っている。出所後、また今治へと戻り結婚、県内の大洲市へ、その後松山で働きはじめ同僚のホステスの首を絞めて殺害し、金品を奪って被害者の遺体を山中に遺棄し、逃走。福井県福井市で逮捕されるまで、逃亡生活がはじまる。
彼女の人生を眺めてみると、幼少期から人生のほとんどを土地から土地へと漂っている。しっかりと腰を据えて暮らした家というものが存在したのだろうか。
人の顔色を窺いながら、人から人へと怪しまれずに生き続けた15年にわたる逃亡、そんな芸当ができたのも幼少期からの彷徨い続けた人生あってのことだったのかもしれない。そんな彼女の人生の中でも、ここ今治市はどこか特別な場所のように思える。逃亡生活中、一度今治を訪れて、長男とも再会を果たしている。そしてこの土地の人々も、どこか福田和子に優しい。
「福田和子かー、ずいぶん古いな、運が無かったんや、かわいそうや、あと一日か、一週間か、逃げ切れたら、映画かテレビに呼ばれて大金持ちになったやろ、かわいそうや。北海道の飯場に隠れていたとちゃう、逃げ続けたんやからたいしたもんや、それにしてもかわいそうや」
タクシーの運転手はまるで自分のことのように、感情移入しながら話した。