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中村 縁談を前向きに進めて行ったんですね。

 当時、朝鮮の方って日本に3000人ほどしか住んでない。しかも大抵が留学生やビジネスで来ている方たちですから、偏見なんてなかったんです。

 戦後、いろんな価値観が崩れてくると、日韓併合という国策の犠牲となって泣く泣く嫁いだかのように親子ともどもおっしゃるんだけども、日記を読めば実はぜんぜん違う。伊都子さんが非常に積極的に進めた縁談であるということがよくわかります。

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中村 林さんが得意とする、きらびやかな描写も多い作品ですね。

 日本にもこんな華やかな王朝文化があったんだということも知っていただきたいです。磯田先生もおっしゃっていたけど、戦前は、女優さんなんかは卑しい身分の人の職業であって、地位が低いんですよ。だからアイドルは皇族や、華族の奥さま、お嬢さま方なんです。雑誌のグラビアはみんな、そういうやんごとなき方たちで埋められていて、ファッションリーダー、アイドル的な側面もあったということを、併せてご認識いただくといいと思います。

中村 そもそも、どうしてこの作品を書こうと思われたんですか。

 昔、1枚の写真を見たことがきっかけです。それは、背が高くてものすごいイケメンのフロックコートを着た若い男性の隣に、不気味な笑いを浮かべている女の子が写っている写真なんです。

中村 アンバランスなんですね。

 男性の方は、対馬藩主の末裔の伯爵で、宗武志(そう・たけゆき)さんという方です。東京帝大英文科出身、北原白秋の門下生という、ロマンチストで素敵な男性なんですが…。

 女性の方は、李垠の腹違いの妹・李徳恵(イ・トケ)さん。彼女は12歳で日本に連れて来られて、今で言う統合失調症になってしまったんです。

宗武志と李徳恵

 そこで、義理の叔母である伊都子妃が、いい縁談があればきっと元気になると…貞明皇后(大正皇后)のご意向も強く働いて、2人を無理やりくっつけたんですが、対馬に里帰りして皆を招いて披露宴をした時に、徳恵さんが異常な高笑いをして皆がぎょっとした、という記録が残ってるんです。