林 木村屋のあんぱんを宮中に差し入れしたとか、そういった日常の記述が実に面白いんです。
この日記の中に、娘の縁談がなかなか決まらなくて困る、といったことも事細かに書かれていて、それを元に書きましたので、史実にはきちんと基づいています。けれども、私のフィクションの部分もすいぶん入れて書きました。
中村 資料となった日記はかなり読み込まれたんですか。
林 出版された時にすぐに買いました。実はこの日記は、現存してないんですよ。
中村 ええ、そうなんですか!?
林 なぜかと言うと、宮内庁がいったん(小田部先生から)預かるといって紛失してしまったそうなんです。しかし小田部先生がすべてコピーしておられて、散逸は免れたそうです。
伊都子の日記は、戦前から戦後にかけての皇室を知るのに、とてもいい資料だと思うんです。たとえば明治維新の時、宮家は4つしかなくて、五摂家の下に位置付けられていました。宮家の皆さまはお金がないから多くは出家していたんですけども、維新を機に還俗させたりしたのが戦前の11家ある宮家の始まりです。そういうことを知ってからいろんな議論を始めた方がいいんじゃないかな、と私は思うんです。この作品には、そういうこともきちんと書いているつもりです。
中村 女性天皇、女系天皇論が、盛んに議論されていますね。
林 私自身もいろいろと意見は持っていますけれども、ここでは申し上げません。ただ、かつての宮家とはそういうものだった、本当に短い期間だけ存在して敗戦とともに滅びていった人たちなんだということは、知っておいていいんじゃないかと思います。
赤坂プリンスホテル(現・東京ガーデンテラス紀尾井町)の旧館ですが、あれは、方子女王が嫁いだ李王家の持ち物だったんですよ。
中村 そうなんですね。
林 李王家は年間150万円という歳費をもらっていたんです。これは皇室に次ぐ大変な額で、あの立派な建物に一家で住んでいたというのは、すごい話ですよね。
方子女王は皇太子(のちの昭和天皇)のお妃候補ではあったんですが、最終的に久邇宮良子(くにのみやながこ)女王が選ばれました。自分の娘の嫁ぎ先をどうしよう、と伊都子さんは非常に困り切っていたんです。ただ、伊都子さんは非常に合理的な人ですから、ふとお相手が朝鮮の王太子でもいいじゃないかと思って縁談を進めていく、というのが、メインストーリーになります。