そこに木馬があったから
――冬彦さんはその「出現してしまった」人なんですよね。
佐野 そうそう。実は『ずっとあなたが好きだった』の脚本を書かれた君塚良一さんも、プロデューサーの貴島誠一郎さんも、僕と同じく特撮ファンで、特にゴジラとウルトラマンが大好き。君塚さんはウルトラマンシリーズの脚本を手がけた金城哲夫さんや上原正三さん、『快獣ブースカ』『仮面ライダー』の脚本も手がけた市川森一さんの手法も勉強されているから、何となく冬彦への共通理解はあったかもしれないです。
――ドラマの視聴率は初回13%から最終回34.1%に急上昇するわけですが、それに刺激されるようにして佐野さんの演技もエスカレートしていくところはありませんでしたか?
佐野 途中から冬彦が世間の注目を一気に集め始めたこともあって、役が勝手に動き始めちゃった感じはありました。だから、変なことをやろう、強い演技をしようとは思いませんでした。むしろ抑えようとしたくらいで。とにかく、人格にはリアリティを失わなせいようにしようと、無茶苦茶なことやってもその発露だけはしっかりと伝えなければと思っていました。冬彦が木馬に乗りながら「他の男に僕の子どもを抱かせるなんて……あああ〜〜っ! 許さないぞ〜!」って言う、あのよくテレビドラマの歴史などで使われるシーンも、そこに木馬があったから乗ったまでで(笑)。
平成という時代の予言の物語
――まさに佐野さんの俳優人生にとって「冬彦さん」は重要な役柄だったと思いますが、今あらためて「冬彦さん現象」とは何だったと思いますか?
佐野 平成の始まり、でしたよね? 平成という時代の予言の物語とでもいうか……。それはゴジラが備え持つような不安の象徴であったのかもしれません。
――冬彦さんは東大出のエリート銀行員で、ディーリングを担当していましたが、それも関連しているでしょうか。
佐野 彼は取引で大失敗して、勤め先の銀行に大損害を与えてクビになりますよね。そういう意味で冬彦はまさに、バブル崩壊、平成4年という不安定な時代、3年の助走を経て動き始めた平成時代の始まりの象徴のような気がします。
――最近では90年代にはまだ生まれていない子から「冬彦さんだ!」って言われることがあるそうですね。
佐野 小学生とかにね(笑)。動画配信なんかで観ているんだと思いますけど、まさか四半世紀後に小学生があのドラマを観るなんて、当時誰も思ってなかったから、びっくりしますよ。僕だって、平成最後にもう一度“冬彦的なるもの”を演じることになるとは思わなかった。
※後編〈“怪優”佐野史郎が「フジテレビをぶっ壊す」と思ってた時代〉につづく
写真=山元茂樹/文藝春秋
さの・しろう/1955年生まれ。山梨で生まれ、東京は練馬を経て島根県の松江市で育ち上京、75年に劇団シェイクスピア・シアターの創設に参加。80年から4年半、唐十郎主宰の「状況劇場」に所属した。86年に映画『夢みるように眠りたい』(林海象監督)主演で映画デビュー。『ぼくらの七日間戦争』などの出演を経て、92年TBS系ドラマ『ずっとあなたが好きだった』の桂田冬彦役で大ブレイクする。2018年『限界団地』で連続ドラマ初主演。俳優活動のほか、故郷松江にゆかりのあるラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品の朗読を現在も続けている。