理不尽さへのフラストレーションはデビューしたときから日本でも

――『マイティ・ソー』のころは、撮影現場でアジア人のエキストラ扱いされたこともあったらしいですね。

浅野 そのあともずっとそうですよ。『SHOGUN 将軍』のときですら、ご飯を食べていたら「ここはエキストラが食事する場所じゃない」ってスタッフに注意されましたから(笑)。途中で気づいて、ごめんなさいって何度も謝られましたけど、「いや、いいんだよ、もう慣れてるから」って。僕もどこうとする寸前でしたし。

――それが「Maybe You Don't Know Me」で始まる、ゴールデングローブ賞の受賞スピーチに繋がった、と(笑)。そうやってエキストラ扱いされることが続くと、なにクソと思うわけじゃないですか。反発心はありましたか?

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浅野 その塊だったと思います。いまだにそうだし、昔からそういうことは感じていました。

――デビューした10代のころから、なにクソという思いがあった?

浅野 ありました。日本の芸能界は実力ではない力で生き残れる場所だし、小さい事務所に所属するかぎり、自分はなにをしたってそういうところに呼ばれないんだろうなって。理不尽さに対するフラストレーションは半端なかったですね。

 でもラッキーだったと思います、逆に。10代のときにまわりを見て、絶対にこんなふうにはなりたくないと思ったから、まわりとはまったく違うアプローチでやってこられた。なんとか生き残らなきゃという思いでずっと必死でした。

©Vestapol, Ark Entertainment, Minded Factory, Katsize Films, The Y House Films

これなら行けるという状態はできあがっていたが…

――『SHOGUN 将軍』もそうですし、新たに主演する映画『レイブンズ』を観ても、浅野さんのキャリアはいま充実期を迎えているように感じます。

浅野 充実感はその都度あったと思うんですけど、若いときは感覚だけで演技をしていたんですよね。台本をパッと読んで、パッとやるという。でもそのスタイルが30代のときに一度解体されたというか、組み立てなおす必要があって、40代はその組み立てたものをアピールする時期だと。そのなかでひとつひとつ手応えを得られて、『SHOGUN 将軍』より少し前の時点で、これなら行けるという状態はできあがっていたんです。ただチャンスがあまりなくて。